親一人子一人のシングルファザーで育てているのでどうしてもそうなってしまうものなのですが、それにしても改めてうちは相当な過保護に該当するんだと思われます。
子供が大事すぎて仕事が手につかないですし、世話を焼く事と見守る事と想うことで一日を消費しています。
これの何が悪い?とも思いますが、このままでは自立の妨げになるかもしれませんし、自転車の訓練の如く少しずつ手を離してやるのも親の務めかとも思うのです。
息子も中学生です。
この過保護からの卒業を意識する時がきたという感じです。
親の過干渉と子の自立
世話を焼きすぎる
まず初めに甘やかすことは悪い事じゃないと思ってるし、厳しいよりは甘いぐらいの方が正解であると自信を持って言いきれます。
そのうえで甘やかしすぎないように心を鬼にしなければならない場面があるわけなんですが、もう直後に手を貸してしまうし声を掛けてしまいますよね。
たまに「俺を信用してないのか!」「パパは俺をみくびっている」と言われるんだけど、そうゆうわけじゃなくて、やってあげたくなってしまうし、放っておけないんですね。
ワイシャツの袖のボタンなんかに格闘している姿を見ると、秒で手助けしたくなっちゃいますし。
ネクタイなんかも私が先に自分で形を作って、それを息子の頭からかぶせて手間を短縮させたりとか。
未だに靴下なんかも親が履かせてますし、いつまでする気なんだって感じです。
おつかいした事がない息子(13)
たまにテレビで「はじめてのおつかい」とか言って4~5歳の幼児が一人で買い物に行く姿をカメラマン同行で撮影・放映していますが、うちの子13歳ですが未だに一人で買い物したことありませんw
昨年友達同士で遊びに出掛けてコンビニでジュースを買ったことが一度あるくらいですw
息子にSuicaを渡す
今月学校の行事で一駅先の場所に集合ということで、歩いて行くか電車で行くか決めかねていたので、一応私の所持しているSuicaを生徒手帳に入れて渡しました。このままの状態でピッで改札通れるからね!って念を押してw
心配なので駅までついて行こうか迷いましたが、さすがに朝から出たくはなかったので見送りました。
友達と合流してちゃんと問題なく電車に乗れたそうですw
未だに時間割作業を親がやっている
小学校からの習慣で結局未だに私が時間割作業やってます。
普通は小一の一学期だけだそうなんですが‥。
これはね、やっぱりその日学校でどの授業をやるのか、どんな一日かを把握する意味で知っておきたいというのもあるんですね。
もし子供にコレを任せていたら親は、子供がその日一日何の授業を受けてどう過ごしていたか等まるで知る由もなくなるからです。
でも普通はそこまで親が把握する必要なんてないのでしょう。
これはそんなに苦痛でもないので私がやりたくてやってるからいいのですが、たまに忘れ物があった時などは当然私のせいになるので、息子に責められる時があるのですが、その時に「じゃあこれからは自分で時間割作業やれよ」と言うと、息子は「それは嫌だ」と言うのです。
このままいくと中学どころか高校卒業するまで私が時間割作業やってそうですw
テスト勉強も徹底管理
試験前の計画表も親である私が立てて記入します。
普通は子供自身が考えて計画表を埋めるんでしょうけど。
これもね、子供に任せるよりも親がやった方が明らかに効率が良いというか、結果的に点数がとれるので、ついついでしゃばってしまいます。
子供も計画を立てるのは苦手なので私にやってほしいと言うので。
でも勉強に口出しされるのは嫌みたいで、その辺の塩梅が難しいですが。
計画を立てた身からするとどうしてもその日の子供の勉強が気になりますからね。
やっていないと口も出したくなりますよ。
喧嘩になると「じゃあ自分で計画立てて自分で勝手にやって!」って言うんですが、そしたら息子は「あぁ、そうする!」って言いやがりました。
子供に任せてしまうのは不安でしょうがないですが、一度セルフプロデュースさせて、失敗を経験させておくのもいいかなとも思っていますが、ソワソワしますね。
何もお手伝いをさせていない
ひとり親家庭の子供は家事をいくつかさせられているイメージがありますが、うちの子なんにもしませんし、頼んだ事もありません。
私自身も子供の頃に何か家事を手伝った記憶がないので、男の子だし別にいいかなと思ってます。
火とか扱ってほしくないですし、やっぱり任せらんないですよ。
自分の上履きぐらいは洗ってほしいかなとは思いますが、「嫌だ」と言われたらそれ以上どうしようもないですからねw
でも稀に洗面器をたわしでゴシゴシ掃除してくれたりはします。
本当にそれだけですねw
過保護からの卒業
そんなわけでして、もうそろそろいい加減に子離れしなければというか、過保護から卒業しなければならない時期にきているなとは思ってはいるのですが、タイミングを逃して今日まできてしまっているので、中学入学時がその最大のチャンスだったのに、何も変えないまま過ごしてきてしまっているのが現状です。
躾けもしていない
よく考えたら碌に何も躾けていません。
「いただきます」を言いなさいとか「ただいま」を言いなさいとかいちいち言いたくなかったんですよ。
犬にお手をしてからじゃないと食べちゃダメとかいう躾けルールとかも好きじゃないので、人が人を躾けるなんておこがましいって思っていたんですね。
例えば何かしてあげた時でも教育の一環とはいえ「ありがとうは?」とかいちいち言いたくないじゃないですか。
悪いと思っていない子に「ごめんなさい」を強要するのも違うじゃないですか。
だから本当にその辺の躾けってあえてしてこなかったんですよ。
自分の子なんだからちゃんとした道徳心は持ってるだろっていう遺伝子を信じて。
でもね、やっぱり最初が肝心で、5~6才の時期にそうゆう事を徹底しておかないと、後から言ってももう遅いんですよね。
あまりに「いただきます」を言わないもんだから小学校高学年の頃は度々「いただきますは?」って言ったりもしてたんですが、毎回忘れてしまって言わないんですよ。
外で食べる機会なんて給食以外には滅多にというか全然ないし、家だけなら別にいいかとも思っていましたが、やっぱりまずいのかなぁなんて今更思ったり。
躾けの甘さを反省してる部分はありますね。
過保護はダメなのか
過保護って愛情の証だし、放任よりは絶対にいいはずなんですよ。
ただ最終的に子供が成人した時に、放任家庭で育った子の方が逞しく巣立っていくんだろうなとは思います。
過保護で育てば結構な確率でこどおじ・こどおばになるでしょうし。
だから成人する前にどこかのタイミングで必ず少しずつ手と目を離していくのが親の務めだとは思うんですよ。
自転車の練習で後ろを支えていた手を自然に離すかのように。
多分今の感じだと高校受験なんか入試当日一緒に学校まで付き添うんだろうなと想像できますし。
昔と現代では本当に親子間の距離とか関係性も変わってきてるようで、うちのような過保護もそこまで珍しくはないとは思うんですね。
ひとりっ子
やっぱひとり親でひとりっ子だからというのは間違いなくありますね。
もし二人兄弟だったとしたら絶対そこまで過保護にならないと思います。
現実的に手が回らないだろうし、どちらか一人の方に手をかけていたら依怙贔屓と僻まれるリスクも生じますからね。
でも二人兄弟だったとしたらうちは離婚夫婦で兄弟を分離しているとは思うので、どっちにしろひとり親×ひとりっ子の状況になってる可能性は高いのですが。(離婚は決定事項なのね)
そんなわけで、ひとり親はどうしても過保護になってしまいがちだし、ひとりっ子だと大事すぎて世話を焼きすぎてしまうのです。
でも一番の理由は私が子育てに全振りで、時間があるからなんだろうなぁ‥。