聞こえてくる言葉の中で私が最も忌み嫌うものが「躾(しつけ)」という語意である。
ニュース等で度々というか決まって虐待親が言い訳のように使う定番であるからというのももちろんあるのだが、そうでなくても本来の意味をよくよく考えてみても、決して腑に落ちない嫌な単語だなと改めて思うのだ。
躾と教育のちがい~しつけはクズ親の言い訳
躾とは何か
「躾の行き届いた良いお子さん」ってどうなんだろ?
親が厳しくした結果品行方正で外面のきちんとした子供らしくない子供ってことでしょ?子供のうちから自由な表現を奪われ押さえつけられて、強制的に体(てい)の良い正しさを彫り込まれた親の操り人形のような能面な子供の事でしょ?
そもそも「躾」とは何か。
おそらくは親が子に教え込むべき社会常識的教育を指すのであろうと誰もが漠然と信じている理念ではあるが、本当に教育のスタイルとしてこれは正しいのか、よく考えてみなければならない。
「躾」は必要か?
ダメな事をダメと教える事は必要だ。これを躾と呼ぶのなら必要だろう。
でもそれは細かく分類すると「教育」であり、「躾」とは少し違う。
教育と躾の違いについて語れる大人ってどれくらいいるのだろう。
字体を読み解くに教育は教えて育てる事。躾は作法等を身に覚えさせる事。
印象としても躾の方がなんとなく体罰的な圧を感じますね。
子供には敬意を
だいたいね、子育てって親の方が子供に教わる事の方が圧倒的に多いわけですよ。
親が子供に教えられることなんてごく僅かで、子供によって親は真の大人へと成長させてもらうわけなんですよ。
だから本来子供には敬意を持って接してしかるべきだし、だけど表面上はへりくだらずに言動や行動をもってして生き方を説いていくという非常に難しくもやりがいのあるコミュニケーションこそが育児であり、決して頭ごなしに「こうしなさい!」とか「こうでしょ!」とか上から命令口調で言うのは違うというか、随分親という立場を勘違いしているなと思うのです。
そうゆう人に限ってこれは躾なんですって自信満々に言うんですけど、それは親のパワハラであり、子に対してマウンティングしたいだけの幼稚で未熟な指導態度であると一蹴したいです。
子供がまっさらな心で感じたままを口にする言葉に耳を傾けよう。
その言葉が例え乱暴だったり的外れだったりしても、すぐに否定してしまうのはもったいないので、その意図をじっくりと聞き咀嚼して、そうゆう感じ方とらえ方もあるのかぁ~と感心して、全面的にまずは肯定してあげるのが関係の第一歩です。
たかが親の分際で産まれて数年の子の貴重なお言葉に対して違うとかそうじゃないとかダメよとか否定するなんてとんでもなく浅はかな返答です。新しい価値観に感動するチャンスを逃すことに他なりません。
別に子供を崇め立てよと言ってるんじゃありません。甘やかして育てるべきだと言ってるんでもありません。
大人の染み腐った固定概念を子供と接する事で洗い流してもらえるチャンスなのだから、子供が喋る驚きワードをひとつひとつインプットさせてもらって学んでいけということです。
威厳なんて要らない
よく親は子に対して威厳を持つべきか、友達のようでいるべきか、スタンスに迷う人は多いと思うのですが、個人的には「威厳」って虚勢による圧力なのでクソだと思いますから、友達のようでいることが正解かと思います。
子供が何か困った時に相談しようと思うのはどちらか考えればわかりますよね?
友達のような感じだとナメられるんじゃないかと思うかもしれませんが、親なんてそもそも偉くないんだしナメられたっていいじゃないですか。
それに例えナメた口をきいてみたところで子供はしっかり胸の内では親に敬意を持っているはずですから、そのへんは子供を信じていいというか、自信を持つべきところです。
因みにうちは友達のように接しすぎているので息子が会話の中で思わず私に対して「お前さぁ」とか言ってしまう事が何度もあるのですが、私はあえてそれを毎回スルーして談笑を続けます。
普通なら絶対「親に向かってお前とはなんだ」って言うんだろうけど、私はそんなつまんない事言ったら負けだと思うと共に、一桁の年齢の子供にお前って言われてる状況が面白すぎて笑っちゃうので叱ることができないのです。
そして無意識に親に対してお前って言っちゃったって一瞬気付く時の子供の反応も見逃せなくて、でも子供も謝ったり言いなおしたりしないんですけど、親子ではあるけど友達というか親友なんだしいいんじゃね?って私の方が許してしまってるんですね。
これは私の懐が深いとか大きいとかいうんじゃなくて、叱れなすぎるというダメな部分の象徴でもあるんですけども、未だに息子は寝る前とかふとした時に「パパ大好き」って臆面もなく言ってくるので、自分の築いた親子の形というのは間違ってないんじゃないかなって思うのです。
親子のあり方
子供は親の背中を見て育ちます。
上から目線の命令口調の教えに対しては怯えるだけで吸収することはないでしょう。
同じ目線で同じものをみつめて違う意見を言い合える関係こそが、永い関係を紡いでいく上での最も重要なファクターなのではないでしょうか。
私もまだまだ教え育ててもらっている最中ではありますので、偉そうなことはひとつも言えませんけども。