しえすたブログ

無職のシングルファザーが離婚や親権について語る

フォークダンスDE成子坂桶田死去していた!明暗お笑い第四世代

衝撃である。

フォークダンスDE成子坂(以下成子坂)は90年代中期に若手のホープとしてボキャブラ天国などで活躍したお笑いコンビであるが、99年に突如解散し、06年に相方だった村田渚が35歳の若さで死去し、ここ20年の間桶田を表舞台(テレビ)で見る事はなかった。

一般的な認知度はボキャブラ芸人の中の一組という印象しか残念ながら持たれていないが、個人的にはボキャブラ以前から思い入れのあったコンビ芸人だったので、今一度成子坂の活動がピークだった90年代半ばのお笑い界をプレイバックしてみる。

フォークダンスDE成子坂桶田敬太郎(48)昨年死去していた!

お笑い第四世代と90年代のお笑い界

第四世代といえばナイナイを筆頭とする70年前後生まれの現在の中堅芸人達であるが、その中でもフォークダンスDE成子坂は割と早くに芽が出て、ほとんど苦労知らずにトントン拍子で売れっ子への道を駆け上がっていた印象がある。

ゴールドラッシュで優勝、GAHAHAキング2代目チャンピオン(初代は爆笑問題)になるなど、順風満帆でフジテレビ深夜のコント番組「新しい波」(とぶくすりの前身)にも起用され、ポストダウンタウンに最も近しい輝きも帯びていたのだが、所属事務所がお笑いに力を入れる前のアイドルゴリ押しのホリプロであったため、政治力の弱さと運の悪さと本人たちの優しい気質も合わさって、周囲から潰された印象がすこぶる強い。

95年関東ローカル夕方の今田耕司の生帯番組(片岡飛鳥演出シブヤ系うらりんご)に週一レギュラーで出演していた際も、成子坂に対する今田東野の圧は強く、他事務所の出る杭は打つ事を吉本から指令されてるのかと勘繰るほどに、当時脂がのってセンスもルックスも最高潮だった成子坂であったにも関わらず、何故か機転の利かないダメな奴扱いを受けて、同業連中からはきつくいじっても良い認定をなんとなくされてしまう。

それら立ち位置から芸風においては吉本のジャリズムとかぶっていた印象だが、同時期に突然解散してしまうところまで共通していたのもまた不思議な因果である。

才能があって優しく不器用な性格のコンビというのは、生き馬の目を抜くようなお笑い界において、狙われて真っ先に潰されてしまうという背景が絶対にあるといえる。

めちゃイケメンバーになれなかった運の尽き

93年めちゃイケの前身番組「とぶくすり」が開始する際、メンバーとしてつっこみの村田のみにオファーがあったのだが、コンビで出れないのなら出ないと言って村田が断った経緯がある。

成子坂最大にして最凶の分岐点はここにある。

一見村田カッコイイエピソードではあるが、もしも村田がめちゃイケメンバーとして出演していたら、そのうち桶田の出番は間違いなくきたであろうし(オアシズ大久保のように)、そうなれば成子坂の解散もなかっただろうし、もっと言えば二人は今も生きていた可能性が極めて高い。

この村田自らが断った若気の至りとも呼べる間違った選択は、その後の転落を見るに悔やんでも悔やみきれない。

絵面の汚い極楽とんぼなんかよりも、ナイナイよゐこ成子坂によるめちゃイケが私は見たかった。(吉本二組要らないし)

しかしポジションのかぶる矢部が村田を嫌い、珍しくナイナイは成子坂に対して脅威を感じていたのか当時明らかな敵意を見せていたことからも(これも吉本からの暗黙の指令?)、村田が断らずとも早々に切られた可能性も高いので、もしもの未来は描きづらい。

フォークダンスDE成子坂~自縛・蔵出し~ [VHS]

フォークダンスDE成子坂~自縛・蔵出し~ [VHS]

 

ボキャブラ芸人に成り下がる

まずボキャブラに出演し続けた事は成子坂にとっては都落ち感が強く、結果としてマイナスだった。

私はこの番組のわちゃわちゃ感が大嫌いだったのでほとんど見なかったのだが、深夜に移動した終わりかけの頃に、たまたまチャンネルを合わせたら成子坂のタイミングだったので止めて見ていたら、舞台に出てくる成子坂に対してガヤでネプチューン等が一斉に「地味だな~w」などといった嘲笑するような罵声を浴びせていて、成子坂の二人は暗い表情で委縮していて、なんか見ていてすごく辛くなったのを覚えてます。

確かに数年前の売れる輝きに満ちていたオーラがすっかりなくなってしまっていて、もう完全にフォークダンスDE下り坂でした。

でも少なくとも他のボキャブラ芸人達よりも成子坂の二人は華と腕を兼ね備えていたので、そんな奴等に見下されて嘲笑されてる現状に本人たちは徐々にやる気を失くしてるようにも見えました。

そしたら案の定翌年解散してました。


フォークダンスDE成子坂 ボキャブラ天国

 解散→村田死去

当時の解散の理由は桶田が同じボキャブラ芸人の金谷と音楽活動をするといって、なかなか解散を受け入れられずにすがる村田を捨てて、無情にも桶田が芸人活動に見切りをつけたからとされている。

その後ピン芸人としてネタをする村田のスベリまくってる悲壮感といったら目もあてられない程で、桶田に代わる相方を決めかねていた村田であったが、ようやくボキャブラ芸人だった松丘とコンビを組んで「鼻エンジン」という売れなそうな名前で再スタートを切り始めた矢先に村田は突然くも膜下出血により35歳の若さでこの世を去ってしまった。

この村田の死が桶田にどれほどの影響を与えたかは解らないが、番組制作の裏方にまわっていた桶田はその後も沈黙を貫き続けていた事からも、相当な痛みを抱えていたと想像するに難くない。

伝説の芸人として村田を特集するネプチューンMCによる特番が2年前に放送された時も、同期のボキャブラ芸人達がコメントする中、桶田にはいっさい触れられずに当然本人のコメントもないままで、実に不自然極まりなかった。

成子坂に見る失敗からの教訓

華やかにデビューするもすぐに落ちて長い潜伏期間を耐え忍んで力をつけて遅咲きのブレイクを果たすというお笑い芸人コンビは珍しくない。

爆笑問題もさまぁ~ずも有吉もそうだ。

成子坂もあの時解散さえせずに地道に活動を続けていたら、再ブレイクできた可能性は充分に高かった。

しゃべくり007なんてチュートリアルの席は成子坂だったはずだ。

ボキャブラ終了後長くくすぶっていた古坂大魔王がピコ太郎で突然ハネたのも、生きて芸人を続けていたからこそだ。

成子坂の二人は天才型だったが故に早熟で、特に桶田は不遇の落差に耐えきれなかったのだろう。

桶田の死を悼む

まさか二人して早逝だなんて、そんなコンビ他に知らない。

才能があるのに運に見放されたアーティストは長く生きられないものだ。

同時期に同年齢で亡くなったカンニングの中島と成子坂の村田。

一方竹山は芸能界で言いたい放題のポジションを獲得し、桶田は芸人へのこだわりがそこまでなかったとはいえ、明暗がくっきり分かれてしまった。

そしてその桶田が昨年秋にすでに亡くなっていたなんて‥。

もう20年も前に姿を消したタレントなのに、くりぃむしちゅーや土田なんかを画面で見ると時折ふと、村田と桶田の姿を探しては、いないことに悲しくなるのです。

でも最後に一言だけ言わせてください。

そのコンビ名、超絶スベッてるよ!!(´;ω;`)

桶田氏の冥福をお祈り申し上げます。

www.siesta-nightmare.com