しえすたブログ

ひきこもりで無職のシングルファザーが離婚や親権について語る

親父が死んだ日

親父の心臓が止まったという連絡が入った。

前日夜に救急搬送されて、数時間後の早朝のことだった。

後悔と言い訳

親父の介護を懸命に続けてきた親父と同居して20年になる内縁の妻の人が、先週電話をくれて「病院に搬送されたらもう面会もできなくなる可能性があるから今週中に会っておいた方がいい」と言われたので、改めて親父に「今度の金曜日行くから」とメールしたら、親父からの返答は「通院などで慌ただしくなるから落ち着いてからでいい」と留守電メッセージに入っていた。

その時たまたま電話の音が聴こえず、会話できなかった事と、親父に連絡せずに直接訪問すればよかったこと、今もこの二点をすごく後悔している

だってもう、今生、二度と、会うことも、話す事も、できないのだから。

 

一週間前に戻ってやり直したいよ。

会っておくべきだった。

電話をすぐにかけなおすべきだった。

心のどこかできっとまだ大丈夫と楽観的に考えてしまっていた

そもそも駅一つ分の距離に住んでるにもかかわらず、一年近く逢っていなかった。

コロナを言い訳にして。

 

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弱ってる親父を見るのがツラかった

春先は緊急事態宣言もあって、小学校も休校で見舞いに行けずじまいだったのは仕方がなかったが、夏にはいくらでも会って話す事はできたはずなのに、僕は積極的に親父に連絡をとることはせず、たまにくる親父からのメールに短文返信するだけだった。

 

親父はその頃リハビリの成果ですっかり歩けるようにまでなり、普通に生活ができてるくらいまで回復していたので、コロナ禍で無理に接触する必要もないと思い、自転車で15分ほどの距離なのに、訪問しに行こうとも思わなかった。

面倒臭いというか、以前と比べてすっかり弱り果てた親父をあまり見たくなかった

 

親父は僕と違って前向きで生きる事が大好きで、まだまだやりたい事がたくさんあると夢を語る人なので、とてもじゃないけど死んだ後の事とかどう考えてるの?とか、核心に迫るようなことは聞けなかったし、思い出話をする雰囲気にもならなかった。

 

とにかく元気になってまたステージに立って歌を唄いたい、YouTubeに自分の演奏動画をどんどんあげたい!と語るのだった。(親父はカントリーミュージックのシンガーソングライター)

 

でも身体が思うように動かなくなり、すぐに疲れてしまうことで、これまでと同じ活動ができなくなってしまったことで、父は随分とイラついてる様子だった。

そんな父に対して、何も言葉が出なくって、励ますことも、手伝うこともできないのがうしろめたくて、あまり会いたくもなかったのが僕の本音だった。

父親が大好きでした

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昔から親父とはたくさん話をしたけど、ほとんど親父が一方的に自分の話をしていて、僕は笑って相槌をうつだけだったけど、親父の話は面白くって、退屈せずにいつまでも聞いていられた。

 

死ぬ間際の父に、色々と息子視点の想いを伝えたかったのだけど、それは叶わなかった。

親父は最期まで自分の死を受け入れない人だったから、しんみりした話は出来なかったんだ。

 

別れ際には必ず僕の肩をぽんぽんと叩き、「またな」と言って笑う父の存在は、大人になってからもずっと僕の精神的支柱であったと思います。

母親とは関係性が悪く疎遠になった僕にとって、父は唯一の味方であり理解者だった。

4年半前に元嫁に息子を連れ去られて半年間音信不通で絶望の淵で泣いて暮らしていた時は、毎週のように親父の家に行って慰めてもらっていたっけ。

 

僕と父の父子関係をモデルケースにして、僕は自分の息子と良好な父子関係を築いていくよ、この先10年後も、30年後も。

親父は子供の僕をこんなふうに見ていたのかなぁと思いながら、自分の息子を見ているよ。

本当はそうゆうことを父に伝えたかったんだけどなぁ。

「具合はどう?」とか「元気で」とか薄っぺらい挨拶言葉じゃなくて。

 

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父への伝言

僕はずいぶんとあなたに影響を受けて育ったと思います。

あなたがタバコとスポーツとサラリーマンを見下して嫌悪していたから、僕は喫煙せず運動せず会社勤めをしませんでした。

 

あなたの価値観に洗脳されたことで、ずいぶんと生き辛さを感じる事もありましたが、恨んではおりませんし、その遺志をこれからも継いでいきたいと思います。

あなたはアメリカとアコースティックな音楽が大好きでしたけど、ささやかな反抗として僕はユーロ派であり、電子音楽が好きで嗜好は合わせませんでしたが。

 

あなたは生まれ変わってもまた人間をやりたいとよく言ってましたね。

生まれ変わりなんてないよ、僕はもういいよ、とは言えませんでしたが。

あまり父親らしくない、かなり変わったお父さんでしたけど、僕は誇りに思っていましたよ。

父親らしくない、変わったお父さんを僕も目指して、今に至ってます。

 

今も死を受け入れられずにその辺を彷徨っておられる事と思います。

生きることが大好きな人でしたからね。

結局全然親孝行らしいことひとつもしてあげられなくってごめんね。

できることならあと1年分くらいなら、僕の寿命を分けてあげられたらあげたいけれど。

 

あなたと過ごした思い出はかけがえのない僕の財産です。

あなたが僕の父親で、楽しかったよ。

Thank you, so long.

 

↓ に続く

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