私の父(78)は二年前に浸潤性膀胱癌と診断され、一年前にステージ4を宣告され、医者からサジを投げられるも、放射線治療にも通い詰めたが徐々に歩行が困難になっていき、三ヶ月前に家の前で倒れて入院の運びとなりました。
膀胱がんステージ4で透析治療した親父が奇跡の退院
ICU(集中治療室)から手術まで
病院へ駆けつけてすぐ、生まれて初めてICU(集中治療室)に入りました。
広い空間の中でいっぱいの管に繋がれた父がベッドの上に横たわっていました。
血圧数値がピッピッってデジタルで表示される例のやつもあり、看護師たちが慌ただしく動いており、その中で研修医がペンを走らせなにやら勉強してるようで、まさしくドラマとかで見るような風景でした。
家族で父を囲んで手をとり、まるで今生の別れかのような雰囲気でしたね。
母も姉も最悪の結果を覚悟してるかのように、父に対し優しく語りかけてました。
父は意識はしっかりあったので、私はなんとなく大丈夫のような気がして、一言「がんばって」と言うだけでした。
たとえもし最後の会話になるとしても、どんな言葉をかければいいのかわからなかったし、おおげさなことを言えば今から手術に向かう父を不安にさせるかもしれないから、そう考えると言葉が何も浮かびませんでした。
父は私に対して「健康には気を付けて!」と言ってくれました。
入院→透析治療→リハビリ
手術は無事成功し、先の見えない入院生活が始まりました。
何度か繰り返し長時間の透析治療も行われた。
見舞いに行くと3~4人の共同部屋で、同室で寝ている患者は90代の死にぞこないのミイラみたいな超高齢者たちでした。
明日死んでもおかしくないような、棺桶に腰までつっこんでるようなジジイ達の中では父はまだまだ若いんだなと思いました。
立ち上がる事さえ出来ず、思うように動かせない自身の体に対し、父は終始イラついてる様子でした。
見舞い品のフルーツミックスとプリンをむさぼりながら「病院飯はマズくて喰えん!肉が喰いたい」と嘆いてました。
退院して通常の生活に戻りたいという意識と欲求はあるくせに、リハビリに対しては乗り気でなく、車椅子にすら乗れずにベッドに張り付いた状態で年を越しました。
医師の話を聞くと、数値は良くも悪くも変化はないが、いつどう転ぶか判らない状態ではあるので、当分の間退院は目途がつかないと言われた。
「余命はどのくらいか判りますか?」と訊ねてみたが、状態が安定していれば生き続けるし、急変すれば死に至ることもあるしで、判らないとのことでした。
要介護状態であるので、設備の整った院内で過ごすのが妥当なのは明らかで、もうこの先ずっと病院暮らしになるんだろうなと思った。
しかし父は一刻も早く退院したいみたいで、春には孫を連れて花見に行きたいと言うので「それならまず今はリハビリをしっかりやっていかないとね」とガラにもなく諭すのでした。
介護保険職員(ケアマネ)との連携で退院・自宅療養へ
年明けからしばらく透析治療も終えて、車椅子にも乗り降りできるまでになり、父の容体は少しずつ回復の兆しを見せていた。
脳は全く衰えていないこともあり、弁も立つし本人は前向きな気持ちしかない。
父は元々自分が死んだら‥みたいな事は話したがらないどころか想像すらしたくないタイプの人なので、終活を意識したこともなければ、こんな状態になっても未だにソレを意識する様子はなく、この先不死身で生き続けるつもりでいるような言動ばかりで、単にポジティブというよりも「死」というワードを完全に除外してるような印象を受ける。
それほどまでに死ぬことが怖いのかもしれないし、まだまだやりたい仕事がたくさんあるようで、とにかくいつまでも寝てる場合じゃないという気概が窺える。
私自身はなんでもすぐ諦めるし、何事もネガティブな結末しかないという悲観論者なので、父の生への活力には恐れ入るばかりだ。
結果的に今月の半ばに退院する方向で話が急展開した。
父は今月に入ってから「退院したい!もうこんな所にこれ以上居たら気が狂う」と退院を強く熱望した為、病院側も空きベッドをひとつでも確保したいのもあり、今後の介護保険サービスの利用形態など話し合いを交え、父の希望通り退院の運びとなった。
生まれてこのかた一度も入院したことのなかった父が今回三ヶ月弱入院したわけだが、入院当初はもう死ぬまで病院なんだろうなと思っていた家族からすれば、かなり予想外且つ早い退院となった。
病は気から
生死を彷徨う状況にまで陥ったというのに、自分が死ぬなんてことがあるはずないと確信しきっている生命力に満ち溢れた父を見ていると、最終的にどう転ぶかは気持ち次第のところが多分にあるんだなと、目の当たりにした思いである。
ステージ4のガンであることも、本人も家族も今や忘れかけている。
人は簡単に死なないのかもしれない(特に後期高齢者は)。
まだまだ父は今後も身近な人間に文句を言ったり迷惑をかけながら、一生死なないつもりで生き続けるのだろう。
感傷的に父を思い出す日はまだもう少し先になりそうだ。
だとしたら許された時間に感謝して、父のわがままも極力聞いてあげる事にしよう。
やがて訪れる最期の時に言い残していた言葉がないように。
死にぞこないのミイラに変わり果てるその日まで。