しえすたブログ

ひきこもりで無職のシングルファザーが離婚や親権について語る

将来妻の介護をする覚悟はあるか~老々介護の未来からの撤退

高齢で身体が不自由になった時に配偶者や子供に世話をしてもらうという期待を当然のように考えていらっしゃる方が既婚者には多く居ると思われるが、意外とその逆パターンに関してはあまりイメージしていないように思うのだが、果たしてどうだろう?

自分ではなく、相手の方が先に介護を要する身体になり、老々介護を強いられるケースだって五割の確率であるという事を覚悟しているのでしょうか?

介護される保険は同時に介護するという相互扶助の契約で成り立っているという事実を認識しているのでしょうか?どうもそのへん深く考えてない人が多いと思う。

The Beauty of Old Age

将来妻の介護をする覚悟はあるか~老々介護の未来からの撤退

子を頼らない老々介護計画

子供に助けてもらうという思考の場合はその子供をニートでもいいと養い続けて同居しているケースのみ成立するが、その子供が既に家族を持って独立しているならば、頼ることなどおこがましいと個人的には思う。

基本的にずっと同居して親の恩恵を受けている子供は親の介護をする義理が生じると思うが、同居していない場合は親の面倒を看なければいけないことはないと思う。

 

なので老夫婦は二人で支えあいながらいつか訪れる老々介護の生活をどのように乗り切っていくのか話し合い学ぶ必要があると思うのだが、健康なうちはそのような想定が疎かになるというものだ。

 

しかし私に言わせれば還暦を過ぎてからそんな事を考えるのは遅いと思うのだ。

そもそも結婚する時に互いが老人になって暮らす画というものを想像しなければならないし、子供ができて日々の忙しさに埋没していく未来予想図をふとした瞬間にでも思い描けなければならない。

「世話はしてほしいけど世話するのはごめんだな」

そんなふうに考える奴は鬼畜だと一刀両断する前に、いざとなった時の自然な人間の感情であるという事実を飲み込む必要がある。

自分は大丈夫。相手もきっと大丈夫。信頼関係は大事だが、状況など日々変わる。

 

実際私は離婚する数年前に元妻が精神系の薬を飲み始めて「多分私の方が先に動けなくなるからその時はよろしくね」と冗談めかして言われた時には心底ゾッとした。

でも介護云々よりもこの先30年も40年も一緒に暮らすのかと想像しただけで立ち眩みがした。地獄へ旅立った方がマシじゃないかとさえ思った。

だから離婚に向けて考え始めた。

www.siesta-nightmare.com

介護の現実

老人の介護は赤ちゃんの世話の百倍大変だ。だって可愛くないのだから。

頭と口だけは衰えずに文句だけは言い続けるという被介護者も珍しくない。

家族よりも金で雇われた他人が世話をした方が明らかに合理的ではあるのだが、当然お金もかかるだろうし、一日中居てもらうわけにもいかないのだから、結局デイケアの人が帰った後は配偶者が面倒を看る事に変わりはない。

 

でもだからそれができる強固な絆で結ばれた老夫婦は本当に美しいと思う。

そんな老夫婦に限ってその状態を当然であると認識し、当たり前のように助け合うことが出来るのだ。

でも残念ながら頑張った結果介護してる側の体力精神が蝕まれて殺害事件になってしまうというニュースも後を絶たないので、問題は複雑だ。

 

私はボケた親近者を見たことはないが、ボケると世話をしてくれる近しい相手の名前すら間違うみたいで、そうなってしまっては世話のし甲斐もないというものだろう。

 世の夫諸君に問いたい。

現在より更に老いて憎まれ口だけは達者な妻を将来介護できる自信はあるのか。

できないのなら早めに財産分与して離婚した方がスッキリしないか?

子供が独立しても一緒にいる意味はあるのか。

殺されるリスクはないか。

 

近所に老犬を抱えながら散歩している老人を見かけるのだが、蓄積された年月が長すぎてその表情からはいっさいを読み取ることは出来ないのだが、ただひとつ解るのは老いた者同士が同志として共に歩むことは可能であるということだ。

しかしそこには衰える事のない愛情が欠かせないのである。

他者への愛を継続できる人を心からリスペクトする。