しえすたブログ

ひきこもりで無職のシングルファザーが離婚や親権について語る

中国の寝そべり族思想を容認できるのが成熟した社会(途上国)だ

現在の中国は日本の戦後昭和中期のような右肩上がりの発展途上の最中にいる様相であるが、そんな中でやはり競争から負けて逸脱した者や、洗脳されずに個人の幸福を思考する者などが「寝そべり族」という新たなカテゴリーの下で、歪な労働システムから降りるという思想が、ぽつぽつと少数ながらも抗う価値観として表出してきているという。

「寝そべり族」は中国で昨年の流行語にもなったそうだ。

これはまさに日本における「FIRE」や「セミリタイア」とほとんど同じかと思うが、中国でもこの流れは必然でもあり、中国社会がものすごいスピードで途上国に昇り詰めてきた証拠でもある。

寝そべり族

寝そべり族は善か悪か

善か悪かで言えば、善でも悪でもないでしょう。

向上心のない怠惰なウツケ者として見下される存在であることは確かでしょうけど。

ですがこれを単純に見下す側の人種もまた、愚かさを露呈する事にも繋がるので、本心では容認しがたくとも、懐のデカさをアピールできる絶好の機会でもありますから、そこは余裕なフリして容認姿勢を見せた方が得策とも言えます。

少なくとも社会的地位のある経済的勝ち組であれば、こんな下層などは下手に刺激するよりもおとなしくしていてもらった方が良いわけで、対立の対象ではないわけです。

自分の子供が寝そべり族信仰であれば黙ってるわけにもいきませんが、他人の思想にとやかく苦言を呈してもなんの得もありません。

だからこれに苦言を呈す大人はバカ発見器のトラップに引っかかったバカという事になります。

こんなものに上から目線で苦言を呈したら負けなんです。

しない主義という非暴力テロ

寝そべり族を解り易く説明するなら「~しない主義」と捉えることができるだろう。

結婚しない主義、子供を作らない主義、企業で働かない主義、トレンドを追わない主義、物を買わない主義などがソレに該当する。

経済の循環を鈍化させるのが目的で、国力の低下を目論んだサイレントテロと称される事もある。

 

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マイケル・サンデルが日中米の学生と寝そべり族討論

個人的に好きなEテレの番組で、ハーバード大学教授のマイケル・サンデルが日中米の3カ国の上流大学生複数人と議論を交わす内容なのだが、今回のテーマが「寝そべり族」でして、「おぉっ」となったのである。

寝そべり族というワードは昨年の中国の流行語大賞にノミネートされたほどで、それを歌った動画が中国政府による圧力で削除されてしまったことで、より問題がクローズアップしたという。

 

寝そべり族に対して番組の大学生達による肯定と否定の割合は6:4で若干肯定派が勝っていたが、各国の比率としてはやはり自由主義のアメリカ人はほとんど肯定派で、日中はそれぞれ半々に分かれた形だった。

さすが上流の現役大学生たちだけあってどちらの意見も理論に隙はなく、視聴していてストレスを感じずに済む点が他の芸能タレントを交えた討論番組とは違い非常に良かった。

寝そべり族を否定するのは愚かしい

寝そべり族を否定する側の意見というのは「社会貢献をして自身も幸福になるという健全な道筋から外れるという思想は容認しがたい」というものであったが、単に怠け者と捉えてるのであれば随分と認識が浅いなという印象を持った。

 

何故なら寝そべり族はそれまでにすでにそれなりに頑張ってはきたが、成果を出せずに認めてもらえなかった社会的敗者であり、そのままその頑張りを続けても実らずに消耗するだけで、自分が壊れてしまう事に気付いたが故に自分を護る手段として寝そべり族に転換したという経緯が大方であろう事から、「まだそのまま頑張り続けろ!」と言うのは思考停止すぎておかしいだろ、と思うからだ。

 

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中国の激務雇用体制「996」問題

一方寝そべり族肯定派は、働いて金を稼ぐ以外の人生の目的や幸福を探すスタイルは自然で正しいという自由主義思想であり、白黒真逆な価値観の相違が浮き彫りとなる。

近年の中国では「996問題」で長時間労働の雇用体制に政府と最高裁が立ち入って、昨年「違法」と審判したばかりだ。

「996」とは朝9時~夜9時まで週6日働くというスタイルを意味するもので、日本で言う労基法違反の長時間労働そのものである。

日本でも未だに9時5時週5勤務プラス残業無限の休日出勤みたいなのは珍しくないし、刑務所よりも過酷な奴隷労働の実態はどう考えても異様である。

これに比べたら「寝そべり族」の方が全然マトモな人間の姿じゃん。

もはや議論するに値しないというものだ。

 

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寝そべり族ですが何か?

恥ずかしながら私も生粋の寝そべり族の一員でありますが、組織に入った覚えはないですし、「~族」というのはダサくて勘弁なので、寝そべりマン、もしくはシエスタ―と自称したいところであります。

寝そべりマンとしては特に国を衰退させてやろうなどという意識は毛頭ないのですが(そもそも私一人が働いたところでGDPが僅かにでも上がるわけでもないので)、でも労働は美しいだとか、労働は尊いだとか、汗水たらして働くことは素晴らしいだとか、そうゆう価値観に対しては虫唾が走るというか、「俺は騙されて搾取される側にはならないぞ!」と言いたくはなりますね。

「無職」が恥ずかしいとは全く思わないくらいの奇人には既に昇華しています。

 

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仕事と幸福の価値観

好きな事を仕事にして、それが認められて稼いで生活が出来ている恵まれた成功者はごく一部でしょう。

好きではないけど得意なことを活かして、それを仕事にして稼いで暮らしてる人というのも、まぁまぁ幸福な人でしょう。

問題は好きでもないし性に合ってるとも思えないけど、なんとなく働いてる大多数の一般層ですか。

これは結構不幸な事だと思います。

苦痛だけど割のいい仕事以上に、ね。

 

耐えられちゃうから何年も継続してしまうんでしょうけど、その生活を続けているとつまらない人間が出来上がっちゃうんですね。

「死んでるみたいに生きたくない」じゃないですか。(By渡辺美里)

だったら寝そべってる方がマシなのかって言われたら、それはそれぞれの価値観の話になるので、おそらく寝てた方がマシだって言う奇特なマイノリティが寝そべり族となるのでしょう。

 

つまり普通の人は寝そべってるくらいならつまらない仕事でもして稼いだ方がマシだという考えなんですよね。

どっちでもいいんだと思います。

ただ寝そべり族が普通の人に見下されてしまうというのは納得がいかないというだけです。

 

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寝そべっていれば倒れることはない!

政府が恐れて動画を削除したという話題の「寝そべり族の歌」の歌詞の一節ですが、この表現イカシテルと思います。なかなか良い詩じゃないですか。

そうだよ、寝そべっていれば倒れることはないんだよ!

がむしゃらに走ってたら速攻で躓いて倒れてケガしてしまうのがオチだけど、寝そべってれば体力も奪われないし、怪我もしないし、嫌な事でストレスを抱えることもないだろう。

「じゃあシネヨ」って言うバカがたまに居るけれど、死んでしまったら寝そべりの至福や恍惚や悦楽は体感できないのですよ。

朝、まだ眠くてまどろんでる時の気持ち良さって最上じゃないですか。

死んでる状態だとそれ、味わえないんですよ!

 

だから生きて寝そべっていたいのです。

気が済むまで、お昼過ぎまで、人生の晩年まで。

 

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