労働信仰から解放されることがこれまでに培われた洗脳からの解脱であり、まずはじめの第一歩です。
労働は全然美しくもなければ尊くもありません。
ただ心身を擦り減らすだけの消耗活動です。
自分がやりたい仕事に就けず、負け組だな‥と気付いたら早めに見切りをつけて、この支配から中退しましょう。
仕事は時間の無駄
人生の時間は有限です。
どのように過ごすのかは本来自由ですが、愚かにも人は自らをどのように縛ろうかと拘束される牢獄を探します。
大抵の仕事は一日の半分以上の時間を占有し、毎日を支配していきます。
週5日8時間とか半端ない拘束縛りですが、学校という名の訓練所でそれが普通だと刷り込まれてるので、多くの人がこの異常事態に首を傾げることはなく、適応できなかった人はそんな自分を責める仕様です。
いやいや、適応できないことがむしろマトモの証明ですから!
仕事漬けの毎日に身を捧げてしまったら、あっという間に人生が消費されていきます。
気付いた時には還暦です。
年金をもらいながら好きなことをのんびり始めようと計画していても、いざその年齢になったらもう気力も体力もなく、棺桶に片足を突っ込みながらボーッとテレビを眺めて余生を消化するだけです。
そうならないためにどうしたらいいか。
つまらないどうでもいい仕事に従事しているという自覚があるならば、今すぐ辞めることです。
誰でも出来る仕事なら、自分がやるより誰かに「どうぞどうぞ」と譲るべきでしょう。
つまらない仕事をするくらいなら寝てた方がいい
つまらない仕事は人生をつまらなくし、精神を鬱へと蝕みます。
そしてほとんどの仕事は大抵疲れるだけでつまらないものです。
だからこそ対価としての金銭を貰えるわけで、バイト感覚ならそれもアリなのですが、正社員になって何年も同じ会社で働くとか地獄の沙汰です。
善人だらけの職場で楽しい仕事ならもちろん良いですが、そんなはずはないからです。
嫌いな人と毎日顔を合わせてストレスを溜めながらつまらない仕事を続けるくらいなら、家で昼前まで寝てた方がマシです。
お金がなくても生活が出来る最低限の暮らしを構築した方が賢いというものです。
人目さえ気にしなければ日本でそれは可能です。
ただ日本人として育った環境下では、世間の無言の圧力を回避するには相当に強固な変人パワーが必要となるので、過半数のなんちゃってリタイア志向の人間はリタイア出来ずに社会人ルートを余儀なくされますが。
奴隷労働者より無能怠惰者になろう
労働は奴隷の仕事です。
社会人=奴隷です。
無職ニート=ゴミクズと思われがちですが、実情は平安貴族です。
お金があって働く必要がない人は本来働かなくてもいいのですが、仕事をしていない人間は恥ずかしいという価値観が根付いているため、働く必要のない人間が結構な割合で仕事のパイを奪っていたりします。
しかもそうゆう余裕のある上級民ほど能力があってさらに稼げてしまうため、上層の位置で楽しく仕事が出来ることでその職を辞める理由もなくなり、結果的に勝ち組が更に勝ち組となる歪な構造があちらこちらに出来上がっているのです。
このスパイラルに抗うには負け組が奴隷労働を受け入れないことです。
運がいいだけの勝ち組に偉そうに命令されて嫌々働くぐらいなら、裸一貫無能怠惰者として布団の中から出ない事です。
職場に向かわず役所に直行しましょう。
好きを仕事にして稼げてる運の良い奴はイイよな
勝ち組とは好きを仕事にしている人のことである。
年収1000万でも疲労困憊でツライなら意味がないです。
年収300万でも好きなことで生活基盤を造れているなら充分成功者です。
好きを仕事にするのは簡単な事ではありませんが、ブレなければ難しい事でもありません。
稼げるか稼げないかは運による所も大きいですが、その辺の折り合いを上手に賢く選別できる人が着実な土台を築いてる印象を受けます。
単に夢見がちだったり、立ち回りが不器用な人には難しいです。
結局柔軟性とコミュ力が重要な要素になってくるので、そうゆうのがないとどうしようもないです。
よっぽど突き抜けた才能のある人は別ですが、そうでない人が好きなことを仕事にしようとするならば、それなりの覚悟と誰にも負けない情熱が必要になりますので、やはり大抵の人はそこで振るい落とされます。
好きを仕事にできてる人というのは、好きじゃない仕事もそこそこ出来る人なのです。
税金を払うより恩恵を受ける弱者に堕ちよう
ダメな奴は結局底辺のままなので、努力しても無駄というのも残酷な真実です。
だったらもう無駄に足掻くのはやめて、おとなしくギリケン(ぎりぎり健常者)であることを認めて、非課税者として極力働かずにいる方が世の為自分の為だったりします。
全力で生活保護を取りに行くというのももちろんアリですし、それが難しかったとしてもミニマリストとして何も持たずに暮らしていけば、社会福祉の恩恵を受けながら生きながらえることは充分可能なので、絶望する必要もありません。
仕事がない、カネがないからといって自殺するのは早計です。
誰も殺さない正しいジョーカーを目指そう
最近では無敵の人が毎週のように自爆覚悟で小さなテロを起こしておりますが、それも世相としてなんの不思議もないのですが、結局負け組が間違った奮起をしても排除されて終わりなので、社会が憎いなら正当な方法でグレる必要があると思うのです。
少なくとも見ず知らずの人を殺めたり、器物を破損したところでたいしたカタルシスは得られません。
賢者モードになれば100%後悔するでしょう。
罪を犯して救われる加害者などいないからです。
社会に復讐したいなら派手なアクションを起こすのではなく、何も生産しないという地味な抵抗を試みるべきです。
学生で言えば判りやすい不良行為よりも、登校拒否の方がよっぽど大人が困るぐれ方なのです。
ぐれるなら社会の役に立つことを一切しないと心に決め、ひたすら非生産的なゲーム廃人にでもなればいいのです。
税金を払うほど働かず、税金の恩恵を受けるぐらいのダメ人間になればいいのです。
ダメ人間を極めれば、国が必ず保護してくれますから。
この憎々しい社会に、自分という腐れ汚物をプレゼントしてやればいいのです。
健常者の労働による血税を、ちょこっと頂いてやれば良いのです。
働かない方が勝ち組になりつつある現代事情
そんなことを言っても誰しもが明日から働くのや~めた!とはなりません。
結局仕事があるなら安心ではあるし、働かないで生きる術なんて普通の人間は持ち合わせていないのだから、いくら働いたら損だの働かない方が勝ちだのと聞こえたところで、仕事のある人は継続して働くだろうし、稀少な無職はますます労働意欲が沸かないままでしょうし、この言説に影響を受けるのは非正規労働者くらいじゃないでしょうか。
非正規で働いてる人というのは社会的には負け組の部類に属してると見なされがちですが、中には上昇志向がなくてのんべんだらりと生きていきたいという確たる信念を持って非正規のポジションにいる人も少数かもしれませんが存在します。
いわゆるアラサー以上の派遣フリーアルバイターの方々ですが、彼等の安月給は雇用サイドのえぐい中抜きをされた後の残金なわけで、いつでも足切り出来る状態で利用されているわけです。
なのでそんな都合の良い奴隷に成り下がるくらいなら、働かないで生きる術を模索した方が賢いというものです。
つまり非正規労働者に限り、中途半端に底辺労働するくらいなら働かない方が勝ちという理論が成立しつつあるのが現代社会の闇なのです。
まとめ
負け組は負けを認めて競争社会から離脱しよう。
仕事はやる気のある人に任せてリタイアしよう。
嫌なことは極力せずにミニマムに生きよう。