しえすたブログ

ひきこもりで無職のシングルファザーが離婚や親権について語る

直葬で父親を見送り火葬式で骨上げしてきた~遺族葬儀体験談

覚悟はしていたとはいえ、とうとうこの日がやってきてしまいました。

5ヶ月間意識の無い状態で透析しながら病院のベッドで命を繋いできた父ですが、残念ながら目覚めるという奇跡は起きないまま、6月某日永眠しました。79歳でした。

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白い箱の中に収められた父

死から葬儀までの一連の流れ

病院で死ぬということ

日曜日の朝、医師から父の容体急変悪化の連絡があり、駆けつけてもよいか問うと、コロナ禍で決まりなのでと断られてしまう。

夕方になって再び電話が入り、最期の立ち合いを希望されるなら二名様限定お一人ずつでと許可がおり、2駅先の病院へ内縁の妻の人と駆けつける。

僕が先に入室すると、5ヶ月前とほぼ同じ状態でたくさんの管に繋がれながら横になっている父に「来たよ!」と声をかけて手を握るが、瞼は開かず無反応だ。

3分ぐらいしてからずっと室内がピーピーうるさいことに気付いて血圧計を見ると、赤ランプの点滅とゼロの表示に気付いてゾッとし、廊下にいる看護師に訊ねたらもうすでに僕等が来る前(電話の後すぐ)に父は息を引き取っていたことが解った。

 

ハッキリとした時間は教えられなかった。(日曜で手薄だし放置していて見ていなかったんじゃないのか?)

もう次に心肺停止した時は積極的な蘇生活動は行わないということは了承していたとはいえ、だったらせめて亡くなる前に対面できるように昼過ぎには連絡してほしかったと病院の不親切な対応を責めずにいられなかった。

もう死んでるんだったら遺族が別々で入室とかも特に意味を成さないだろう。

確かに父の体はすでに冷たくなっていたし、瞳孔も開いていた。

目の前に横たわる5ヶ月ぶりに見た父は完全に魂の抜けた亡骸となってしまっていた。

「全然お見舞いに来てあげられなくてごめんね‥」

冷たい頬とパサパサの髪を撫でながら、何も力になってあげられなかったことを深く詫びた。

 

2時間かかる遠方から駆けつけてくる姉と母を、遺体となった父と病室で待った。

葬儀会社に連絡し、ひととおりの面会を終えたところで医師による死亡確認が行われ、死亡時刻が言い渡された。

本来の時刻よりも3時間程遅いのだが、死亡時刻とは遺族が揃ってひととおりの声掛けが終わった後に呼ばれた医師の形式的な確認時になるらしい。

その後はすぐにたくさんの管が外されて、ずっとピーピーうるさかった機械の電源もオフになり、慌ただしくも速やかに病室が片付けられていく。

真ん中のベッドで横たわる父だけをそのままに、まるで引っ越し作業が行われているかのようだった。

間もなくして葬儀会社の担当が到着して、死亡診断書も預かって手早く手続きを処理して斎場の手配をするという。

病院のすぐ近くにある安置施設へ今晩父は運ばれて、翌日の打ち合わせをとりつけてその日はこれにて帰宅した。

 

留守番してくれていた息子が「おじいちゃん今どこにいるの?」と聞いてくるので、「もう‥いなくなっちゃった」と言うと、「悲しい‥」とぽろぽろ泣くのです!

父は孫の事をすごく気にかけてくれていたが、幼かった息子は祖父の印象はあんまりないと言いつつもすごく悲しいと言ってくれたので、「だったら明日安置所で会えるから一緒に会いに行こう」と言って息子も急遽連れていく事に決めた。

安置所で装束に包まれて安らかに眠る父

安置所で白い棺に入れられてきょーつけの姿勢で固定されて眠る父は、狭くてキツそうだったけど病院で管に繋がれていた時よりも安らかに見えた。

冷蔵保存されていたからだろう、死亡直後の冷たさよりも更に断然冷たくなっていて、冷風機の風を気持ちよさそうに浴びている。

すぐとなりの部屋で打ち合わせの話を聞きながら、合間合間に寂しいだろうと父の傍へ何度も寄り添い心の中で話しかけた。

しんみりしている僕の背後にそーっと忍び寄って笑う息子に「二人きりにさせて!」と言ってしまった。

持参したスイッチにも飽きてしまった息子は退屈そうで申し訳なかったけど。

 

二日後に火葬することに決まった。

父はわりと交流が広い人だったけど、友人が各地遠方に多いこともあり、ほとんど知らせずにきていたので、しめやかに家族葬で送り出す事にした。

コロナ禍だし、お金もあまりかけられないし、ね。

棺の中に入れられる物も近年更に条件が厳しくなっているようで、手紙ぐらいしか思い浮かばなかった。

写真も私物も燃やしちゃうより持っていた方がいいだろう。

明日は父に向けて、誰の目に触れることも読まれることも聞かせることもなく、灰となってしまうことを承知した上で、心よりの想いを綴った手紙を書こう。

葬儀費用で姉弟喧嘩勃発

喪主の役割

その後のお墓の件などで思う所のある姉が以前から喪主を志願していたこともあり、一任することにした。

喪主とは葬儀で参列者の前で涙ながらに気丈に挨拶を述べるイメージが強かったので、直葬の火葬式で喪主の役割なんてあるのか?と思ったが、代表して費用を支払ったり書類の記入をしたり、いわゆるキャプテンみたいな人を一人決めることで円滑に作業が進められるということみたいだ。

 

葬儀費用は喪主が代表して一括で支払うから、ファミレスのレジ前で現金の割り勘をするような見苦しい真似を斎場では出来ないわけで、葬儀前後に誰がいくら払うのかを決める必要があるのだが、やはりこうゆう話は切り出しにくいもので、父が意識を失ってから5か月間も猶予がありながらも結局葬儀の前日にどうするか決めることとなった。

葬儀費用は誰がいくら払う?

個人的には姉が喪主を志願した段階で、ある程度は同居して現役で働いている姉と(二十数年前に離婚した)母が出してくれるものであると考えてはいた。

逆に姉が喪主を志願しなかった場合は割り勘になることや、最悪自分が支払う可能性も少しは覚悟していたが、そうはならなくてホッとした。

内縁の妻の人はこれまでに父の介護の全てと入院費用(数十万)を支払ってきているので、葬儀代まで彼女に押し付ける事は酷であり、父がお金を全く遺していない以上、書類上離別で配偶者がいない為、その子供が出すというのが一般的なスジだろう。

 

父への手紙を泣きながら書いていると、姉からその内訳のメールが届いた。

「私と〇〇さん(内縁の妻の人)としぇす太(俺)の3人で3分割して支払いましょう。端数の数千円は私がもちます」とのこと。

「え?母も含めて4分割ならいいけど?」と返信すると、「母は離婚してるので一般的に払う義理はないので私たち3人で割りましょう」とのこと。

ぶっちゃけ365800円だったので、12万ずつで割るというのだ。

仲の良かった姉弟、カネで揉める

こうゆう時に兄弟が多ければ負担が少なくて済むかもしれないが、一般的な葬式費用は150万~200万なので、やはりその内訳と関係性で兄弟間で醜いケンカに発展することはよくあるみたいだ。

でも過半数の家庭は父親がそのくらいのお金は遺しているから、そこから配偶者の母親から喪主を務めた子供に返金されるというのが主流なのかな?違うかな?わからないや。

 

とにかく自分(俺)の中では、離婚したとはいえ完全にそれ以来連絡を取り合わずに絶縁していた関係であったなら母に払う義理は確かにないが、今も姉と同居していてしかも結構稼いでいて、見舞いにも来て葬儀にも出席するという母が出さないのは逆に変だろ?と思うのだが、この時点では母の意思は全く何も介入しておらず、姉の独断で母には葬儀代に関与させたくないというかたくなな謎のこだわりがあるようで、意見は食い違い交わす言葉も険悪になってくる。

 

「そんなに母に出させたくないのであれば後で役所に申請すれば喪主に補助金が5万円返ってくるから、姉が16万で僕と内縁の妻の人とで10万ずつでもいいよ」とまで気の迷いで一旦は折れてみせたのだが、すると今度は姉が「でもよく考えたらこれは〇〇家の葬儀なので、籍を入れていない内縁の妻の人に出してもらうのも本来違くて、姉弟で折半するのが妥当かと思う」と言い出したのだ!

お金の話合いは慎重に

こちらとしても内縁の妻の人(すごくいい人)にはできればもう一銭も出させたくはなかったので、「確かにそうだね、わかった、正社員で独身で母と同居している姉が30万で子供を養育していて失職中の俺が65,800円の折半で手を打つよ」と返したら、「働く意思もなく私たちの納めた税金の恩恵を受けて生活しているあなたの事を失職中とは言わないです。病気を抱えながら税金納めて働いてる私の生活のが厳しいです」と返ってきたので、なんかムカついてどうでもよくなってきてしまって「じゃあ明日は全額よろしくです」と送ったらメールは途絶えた。

 

二時間前までは10万までなら出すつもりでいたというのに、今ではこれを機に絶縁したっていい代わりに喪主の姉に全被せしてやろうとまで本気で思ってしまっているのだから、人の気持ちなんて対話の流れでいくらでも揺れるものだ。

だからこそ話をまとめる長側の人間にはそれ相応のスキルが必要であり、その点で言えば姉は喪主としての資質は限りなくゼロだったというわけだ。

だってもし最初から自分の考えは掲示しないでまずこちらに「費用はどう振り分けるのがいいと思う?」と委ねられるか、もしくは「ここは私が全額払うよ!」とでも言ってくれば、「いやいやいや」と言って払おうとなるのが人のサガというものですからね。

 

夜には母親から電話でもあるかな?と思ったが、それもないままに翌日の火葬式の日は訪れた。

家族葬の日

夏の喪服は半袖NG?

実は昨晩もなかなか寝付けずにスマホで夏の葬儀の喪服は半袖でもいいのか?など調べていたのだが、どんなに暑くても基本男性はスーツ一択で、半袖はNGらしいということが解った。

でも他人の参列者もいないし親戚すら来ないし本当に4人だけの家族葬なんだから上下黒ならなんでもいいんじゃないか?などと結構悩んでいた。

だってスーツなんてもう8年くらい着てないからね。

あるにはあったけど白シャツがない。(葬儀用黒ネクタイはある)

暑かったら黒のカッターシャツ(半袖)に黒の普段着ズボンで行こうと思ったのだけど、当日朝は小雨降る涙雨となり、この時期にしては随分気温も低かったので、やっぱりスーツで行こうと決めた。

白シャツがないので中は黒カッターシャツ(半袖)にした。

初めての霊柩車

前日の安置所に着くと台座に乗せられた白い箱の中に父が乗せられていた。

お化粧はオプションに付けなかったはずだが、元々美白で美肌だったこともあり、とても綺麗な顔をしている。

父の前で昨日の揉め事を引きずるのはよくないと解っていたし、姉も普通に接してきたので4人で棺の中に花を手向けて写真をいっぱい撮った。

前日スマホに落とした父の歌をBGMにかけて演出したら、いの一番に自分がぐしゅぐしゅ泣いてしまった。

僕はこれまでにいくつかの病院の場面で、姉が取り乱し母が泣いている時でも冷静さを保っていたし、先日父が亡くなった時でも涙は流れなかったのだが、棺に納められてあと一時間後に父の体は燃やされてしまうのかと思うといっきに感情が込み上げてきた。

 

斎場に向かう為、母と内縁の妻の人がハイヤーに乗り、喪主の姉と僕が父を乗せた霊柩車に同乗した。

姉が「(前と後ろ)どっちに座る?」と聞くので、「喪主だから‥」と助手席を姉に譲る素振りをすると、後ろだと父の棺の横に座ることになるので「後ろがいい?」と姉が察し、僕は黙って頷いた。

乗車中も僕はシクシク声を殺して泣いていたが、対していつも感情が高ぶって涙もろい姉は意外にも今日に限って気丈な立ち振る舞いで運転手とも二三言葉を交わしていた。

横の棺に頭を傾けてみたけど、父はそこに居るようでやっぱり居ない感じがした。

火葬式~父とのお別れ

予定より早く斎場に着いた。

雨はすっかり止んでいたが、空はどんより曇っていた。

中に入ると今日火葬される人の名前が5人ほど並んでいて、6番目に父の名前が表記されていた。

たまたま母と二人きりになる時間があり、すると母から「葬儀費用は全部私が払うから‥」と切り出された。

「これまで一番父と長く過ごしてきたのは自分だから」と申し出てくれた。

だったら昨日のうちにそう伝えてくれよと思ったが、これで昨日からのモヤモヤがあっさりと解消されて、姉との醜い論争は母の器量により簡易に収拾した。

 

炉の前で焼香をして祈りを捧げ、場内に運び込まれた父の棺の顔の部分だけ窓が開かれ、4人で囲んで最後のお別れをした。

父の顔の周りを囲んで窓越しに思い思いの謝意を吐露し、いつしか4人でガッチリと力強く手を取り合って「これからはみんなで力を合わせて仲良くやっていくからね」と全員号泣しながら父の望んでいた和解を表明した。

きっと父もつかえていた胸を撫でおろして安心したにちがいない。

 

「名残惜しいですがお時間となりましたので‥」と係の人に棺の窓を閉めるよう促される。

「またね!」

「待っててね!」

「もうすぐそっちに逝くから」

「ずっと大好きだよ!」

「ありがとう!!」

遺族の手でゆっくりと棺の窓は閉じられて、火葬炉の前に移動して、炉前で整列して手を合わせて、父を乗せた棺が火葬炉の中に納められて重い扉が閉まるのを見送った。

 

ロビーで一時間ほど待機して雑談しながら骨が焼きあがるのを待った。

骨上げして骨壺に骨を納めた

完了が告げられ再び火葬炉の前に行き、遺骨を骨壺に入れる骨上げ作業をした。

台の上に置かれたメインの大きな骨壺と焼きあがった大きな骨を見て「ケンタッキーみたいだね」と呟いたら横の姉に笑いながら肘で突かれた。

長い菜箸でお骨のひとつひとつを拾い上げて骨壺の中に綺麗に収まるようにパズルのように考えながら入れていく。

不思議な程にグロテスクな不快感は一切感じない。

おそらく肉片や血といった赤色がいっさいなく、骨の部位も係の人に説明されないと判らないくらいにバラバラだからだろう。

当然臭いも何もしない。

でも箸で骨をつまむなんて生まれて初めての体験だ。

分骨で自分の持参した小さな骨壺に入れる良い骨を選んでいると、分けられた側の骨を拾おうとしたら「そっちは顔の部分でメインの骨壺に入れるからダメ」と遮られてしまった。

骨上げにも順序や決まりがあるそうで、お墓に納骨する骨壺には足の方から入れていき上の方に顔や頭の骨を乗せて、丁度いっぱいいっぱい無事に詰め込むことが出来た。

 

布に包まれたメインの骨壺は想像以上に重かった。(ほとんど壺の重量か)

でも大柄だった父が、両手で抱えられる程の壺に納められてしまったことを思うと複雑な気持ちになったけれど、「重さをかみしめたいんだ!」と言って帰り道自ら持ち運び役を志願したのだが、途中で腕がつらくなってあっさり姉と交代した。

葬儀を終えて

 

無事父を送り出すことができて良かったです。

父はパーティーごとが好きな人であったから、本当はたくさんの友達を呼んで盛大なお葬式をしてあげた方が喜んだはずだけれど、個人的には小規模な直葬でとても満足している。

父も分離した家族が一同に集って結束したことを悦んでいるはずだ。

 

もう父の身体はこの世に灰のような骨しか残っていないけど、ずっと病院のベッドで中途半端に呼吸器と管に繋がれて意識もないまま生きながらえた状態でいるよりも安らかに召されたことだろう。

でもそんな状態でも0.1%ほどの確率の奇跡で一瞬でも覚醒してくれるんじゃないかという期待感があったから、植物状態でもまだ生きているという認識だったから、こうして火葬して骨壺に納めて本当に逝ってしまったんだという実感が湧いてきました。

 

もう二度と父と会えないのか‥。

今生の別れ。

気持ちを整理する時間は充分にあったけど、いざこうして火葬式を終えるとやっぱりいろんな後悔が押し寄せてきて、スマホで過去に父とやりとりしたメールを読みふけりながら、眠れない夜はまだしばらく続きそうだ。

食欲もなくてこの一週間の間で2.5kgも痩せてしまった。

でも息子がいるから随分気が紛れるし、親が死んだときが一番子供が居て良かったと感じるのかもしれないと思った。

 

息子から「パパは100歳まで死なないでね」と言われてしまった。

そうだな、人生あと半分ちょっとか‥‥

頑張れるかなぁ?

 

Goodbye My Daddy

I Love You Forever

 

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