私のこの世で一番嫌いな言葉である。
これは新約聖書に書かれている有名な一節であるが、誰かを励ます時などに気軽に使ってはならない言葉かと思います。
神様は乗り越えられない試練は与えないって本当か?嘘だろ!
この世に乗り越えられない試練はいっぱいある
まず最初に論破しておきます。
地獄の苦しみの後に死にゆく人に対してコレ言えんの!?
乗り越えられずにのた打ち回って死んだ人ディスってんの!?失礼ぢゃね??
よく考えてみろよ、事故や事件で人生壊された人が散々苦しんだ挙句に自殺しちゃう事だってあるけど、それに対してはどのような見解を示すというの?
それも本来乗り越えられる試練だったはずだとでも言うのか?
ふざけんぢゃねぇぞコラッ!!何様だよ?神様だと!?
そんなもんとっくに死んだよボケナスが!!!
美辞麗句が大好きなキリスト凶
綺麗ごとばっかなんですよ。
これもどうせ「あ、キャッチーなフレーズ思い浮かんだ」って書かれたものでしょ、きっと。
こうゆうところがダメなんです。
良い事も書いてあるけど、基本性善説に沿ってるんで、この世には人の皮を被った悪魔が無数に存在していると確信している私からすると、総じてつっこみたくなる内容なので、聖書は肌に合いません。
結局真実から目を背けてるんですよ。
神様という絶対的なモノを崇めることでその力を借りようとしてんですよ。
虎の威を借りる子猫ちゃんですよ。
自分の眼で見てよく考えて絶望してこそ真の希望に辿り着けるかもしれないし、辿り着けないのかもしれません。
試練を乗り越えた先には徒労しかない
わかりやすく言えば、修行僧が必死に耐えて試練を乗り越えた先に何があるというのか。
せいぜい自己満足か、上司からの「合格」くらいなものでしょう。
その試練の最中にどれだけ傷つき失ったかを忘れてしまってるんですよ。
目の前に試練が立ちはだかったらサッとよけた方が賢いというものです。
逃げるが勝ちって言葉が大好きなんです。
逃げれば争いも回避できるし、誰も傷付かずに済みます。
乗り越えた者は乗り越えられなかった者を笑ってはいけない
自分は運よく乗り切ったけど、誰かは運悪く道半ばで途絶えたとする。
その時「あいつは力不足だったんだ」なんて見下してはならないはずだ。
「俺はたまたま運が良かっただけだ」と謙虚に胸を撫で下ろしながらも、気まずい気持ちを引きずりながら前を向いて歩いていくしかないのが人生です。
ダメになった奴を努力不足と嘲笑するような輩は、次の瞬間に足下をすくわれることでしょう。
試練を乗り越えたからって安易に自信を持っちゃダメなんです。
だから自信満々な人というのはハッタリ野郎かただのバカかのどちらかなのです。
試練を乗り越えたって別に偉かないのです。
試練から逃げたってそれもひとつの処世術です。
試練に挑んだのに乗り越えられなかったら‥ご愁傷様です。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
そんなわけないだろ。