僕の一番嫌いな言葉(納得できない言葉)は「神様は乗り越えられない試練は与えない」なんだが、次いで二番目に否定したい言葉がこの「健全な体に健全な精神が宿る」という文言である。
これ絶対に違うから!!
健康体の人間の方が圧倒的に罪を犯すし、体が不自由だったり不具合だったりする人の方が圧倒的に色々頭で思考するからこそ、他人の気持ちが理解できたり自分に出来る社会貢献を探るので、総じて前向きで心が清かったりするものなのです!
健全な体に健全な精神は宿らない!
悪い奴はだいたい元気
悪そうな奴等はだいたい友達という名の通り、悪い奴等はだいたい元気です。
というか元気な奴ほど性根が悪いです(偏見@俺調べ)。
考えてもみてください。
悪い事をするにも相当のエネルギーと勇気と行動力が必要になります。
つまりその時点で元気じゃないと犯罪は犯せないのです。
逆に元気じゃない犯罪者って想像できますか?できませんよね?
暴行とか強姦とかってめちゃめちゃ元気じゃないとできませんし、とにもかくにも体力がないと悪事は働けません。
健康な体でないと不道徳で不健全な行いは出来ないというわけです。
フィジカルエリートは罪を犯しやすい
そもそも体格に恵まれた人間は一歩間違えば非常に危険です。
元スポーツ選手なんてのは指導者や解説者やタレントになれなければ、ヤク〇の道一直線です(偏見)。
では何故フィジカルエリートは罪を犯しやすいと言えるのか。
それは身体が頑丈で健康で力を持て余しているからです。
力を持て余しているということは、欲望に対して実直に行動できるということですから。
欲しい物があればその手を伸ばすだけで容易に掴める事を知っているからです。
身体の弱い人間、非力で鈍臭い奴には難しい事でも、フィジカルエリートにとってはたやすいのです。
病弱な人は優しい人が多い
一方で身体が不健全、いわゆる体力に乏しい人、病弱で肉体的にハンデを負ってる人というのは、普通の人よりも痛みを知っている分、優しい人の割合が高いです(多分)。
つまり精神が美しいのです。
不健全な体にこそ健全な精神が宿っているのです!!
障害者でも人間ですから汚い部分ももちろんありますし、むきだしな分醜さも露骨な時すらありますが、それでも本能としての純粋さと捉えることもできますし、ハンデを負ってる分大目に見てあげたいという憐憫の情が勝ってしまう部分もありますが。
Z武さんのように五体不満足すぎて介護させた末にヤリチンになるというケースは極めて稀なのです。
そこまでの身体的障害を患っていなくて、人より少しノロマだったり、俊敏さに欠けてのんびりしてる人というのは、攻撃性がなくて人畜無害であるという事です。
つまり危険性が低いという事です。
鬱で無気力な人は悪い事をする気力がない
精神的に不健全(不安定)である人(鬱を患っている等)も、身体が元気で健康だと他害に向かう事がありますが、身体が重くて行動する力のない者は当然ですが誰を傷つける事もしません(出来ません)。
つまり身体が健全に動かない方が他殺も自殺もできないので安心でもあるのです。
自殺する人って結局身体が元気で健康なのに対して、心が病魔に侵されてる事の落差によるアンバランスさに耐えられないからであって、健康体故の悲劇なわけです。
不健全な体であれば、死なずに(殺さずに)済んだのにというケースは多いです。
不健全な体にこそ健全な精神が宿る
以上のことから「健全な体に健全な精神が宿る」という言葉を全面的に否定してみました。ご理解いただけましたよね?
健全な体はむしろ不健全な体よりも犯罪(悪事)を誘発しうるという事です。
そして体が弱い人間の方が心が強いという統計(データ)も実際に出ています、知らんけど。
多分そんな気がするんです。
だからこそ「健全な体にこそ健全な精神が宿る」だなんて軽々しく言ってほしくはないのです。
不自由で不具合な体でも頑張っている人を知ったら、この言葉がいかに陳腐で無神経な戯言であると解るはずです。
「不健全な体にこそ健全な精神が宿る」
断言こそ出来ないけれど、そっちの方がまだシックリくるのです。