自分でも驚いている。
これまでダチョウ倶楽部や上島竜兵のことなんてなんとも思っていなかったはずだが、いざこんな形で亡くなられてしまうと、想定外に喪失感がでかいことに。
長きに渡り体を張っていじられ芸人としてピエロを演じながらも、数々のギャグを残したダチョウ倶楽部・上島竜兵はこれにてレジェンド芸人になったわけだが、その最期が自殺だなんてあまりにもショッキングすぎるというものだ。
自殺の理由なんて本人にしか判らないのだからと言って、余計な考察をするのは野暮で無粋なのかもしれないが、原因があって結果があるというのもまた事実なわけで、やはりそこは有耶無耶にせずにキッチリと彼の思惑に寄り添う必要があるのではないか。
そうなるとまずい事務所(太田プロ)が揉み消しにかかっていそうで、この問題に切り込むこと自体がタブーになりつつあるのも承知の上で、上島竜兵は何故自死を選んでしまったのか、勝手に考察してみよう。
上島竜兵は何故自殺してしまったのか?
頸性うつの可能性
首コリ、肩こりの強いやつで、自律神経が乱れて疲労が増す病だが、これに不眠症などが加わることで鬱が発症するという負のスパイラル。
X JAPANのhideがまさにこれに該当する。
時期も同じだしやはり5月は魔の月と言える。
アルコールによる突発的な事故死
上島竜兵は酒好きなので、一人呑みのアルコールで悪酔いして、嫌な記憶のフラッシュバックが脳によぎって突発的に死にたくなった可能性。
独り呑みは歯止めが利かず、介抱されないので、普段から鬱傾向のある人が悪酔いした場合は非常に危険だ。
糖尿病を患っていた
上島竜兵くらいの年齢になれば身体のどこかしらは悲鳴をあげているものであるが、彼も近年糖尿病を患ったことで大好きなお酒を控えなければならず、ストレスと相まって将来を悲観する傾向にあったかもしれない。
糖尿病になると体力気力性欲も著しく落ちる為、生きてるだけでただしんどいという状態に陥るため、還暦も過ぎると絶望的な気持ちにもなるだろう。
コロナ禍による影響は?
コロナ禍でダチョウ倶楽部の芸はことごとく封じられて辛いと冗談交じりにこぼしていたが、そんなことで自死を選ぶというのはまずありえないだろう。
どちらかと言えば飲み会が出来なくなった事によるストレスだろうが、近年は後輩を集めてもダメ出しされるばかりで美味しいお酒が呑める雰囲気でもなかったため、独りで自室でしんみりと呑む事が性に合わなかったのかも?
上島竜兵はほとんど趣味がないそうで、コロナ禍で鬱が加速した可能性は否めない。
上島竜兵は嘲笑されてキレるパターン芸に疲れてしまった?
実際視聴者として見ていても、面白いんだけども痛々しいというか、ダチョウ倶楽部3人でのお決まりの芸も竜ちゃん一人に負担がかかりすぎていて気の毒に思えます。
若いうちはいいのですが、40過ぎても体を張ったいじられ芸で年下に突っ込まれるというのは相当疲労困憊するものと思われます。
竜兵会の無礼講は他では絶対に許されない非常識
太田プロの上島を中心とした会合を「竜兵会」と名付けて無礼講の飲み会を20年近く開いていたそうであるが、初めの頃はトップの上島を立てながら彼の話を後輩たちが親身になって聴くというものだったらしいが、いつしか慣れあい始めた頃に肥後が「俺たちは友達だ!敬語はやめよう!」と言って、上下関係が取っ払われたことで一気に後輩たちからの上島いじりが加速した。
いくら無礼講と言っても最低限の敬意を持ち合わせるのが常識的な大人の感覚であるが、彼等は芸人なのでそのへんの良識を持ち合わせていなかったのかもしれない。
だからこそ芸人の世界はきっちり猿山式の上下関係を明確にした方が間違いがないのだろう。
吉本興業の芸歴による上下関係は行きすぎで気持ち悪いと感じていたが、こうして見ると竜兵会の無礼講の方が異常で、吉本のスタイルが正しかったと思わされるのだ。
もし上島が吉本だったらどんなに売れてる後輩であってもあんなふうないじり方は絶対に出来ないし、考えられないことだろう。
上島竜兵は寛大すぎるし懐が広すぎるのに全然尊敬されないのだから、まるで割に合わないと惨めな気持ちになるのもよく解る。
竜ちゃんは第三世代芸人からはリスペクトされていた
竜兵会(事務所の後輩)の連中からはナメられまくっていた上島竜兵であるが、同世代(第三世代)の芸人からの評価は高く、「竜ちゃん竜ちゃん」と親しまれていた。
上島はとんねるずの石橋から「俺たちは同世代だもんなー」といって肩を組まれて同士扱いされたことを嬉々として周りによく自慢していたそうである。
個人的な記憶ではダウンタウンの「ガキの使い」がまだ火曜深夜の二年目(91年頃)あたりのチキチキのオープニングのゲストに珍しくピンでゲスト出演した上島が、ダウンタウン二人に対して「俺もこっちがいいよ~、ダチョウ辞めるから入れてくれよ~、同郷だろ~?」と言ってダウンタウンが苦笑いして拒んでいたのが印象的だった。
浜田も竜ちゃんに対してのツッコミはどの時代でも優しかった。
松本が「ワイドナ」で涙声で追悼したのはグッときた。
85年デビューのダチョウ倶楽部はウッチャンナンチャンと同期で、ウンナンが冠番組を持つまでの期間は共演する事も多く、そこに1年後輩のヒロミ率いるB21スペシャルを加えて、とんねるずに続くお笑い第三世代のトップランナーとして、南部が脱退してからの3人組となったダチョウ倶楽部は「たけしのお笑いウルトラクイズ」をきっかけにしてスターダムを駆け上がっていき、上島竜兵は出川哲朗とリアクション芸人の地位を確立していった。
なので同世代の芸人達は皆芸達者な上島竜兵の面白さを認めていたし、いじりながらもリスペクトが感じられた。
何故肥後と寺門は上島を救えなかったのか
ダチョウ倶楽部は一見仲良しに見えるが、完全にジモンが嫌われており、1対2で分かれていた。
ジモンの性格に問題があるのは明らかで、二人がジモンをはぶいていたわけではなく、ジモンが年々自分の趣味の方を優先していたということらしい。
そして肥後はリーダーなのに全然リーダー的な仕事をしてはおらず、実質ダチョウのリーダーはどう考えても年長の上島だった。
そして言うべき時に言うべきことを言えるジモンがサブリーダー的な立ち位置で、肥後は人畜無害の無能だからこそリーダーの役割を与えられたのではないか。
リーダー決めの真相は肥後が単に身長が高かったからというお粗末な理由らしいけど。
プライベートではつきあいのなかった寺門は仕方ないにしても、肥後は上島の異変を感じ取ることは出来なかったのか。
おそらく長い年月と近すぎる距離感から灯台下暗しとなり、不安定な上島をこれまでに何度も見ていたために、特別に感じることはできなかったのだろう。
肥後の追悼コメントは「泣ける」と絶賛されていたが、個人的には胸糞悪い。
あれだけ苦悩しながら身体を張り続けたダチョウの功労者である竜ちゃんに対して「最期までしくじった上島を皆さん笑ってやってください」と言うのはあまりに酷ではないか。
何故もっと寄り添ってあげられなかった自身を責めない?
お前等の分まで矢面に立って傷だらけになっていた上島をまだ笑って流すつもりか?
いい加減にしろ!!
愛のあるイジリとは?
皆そろって芸人達は「愛のあるイジリ」だからといって自分たちのきつめのツッコミを肯定する。
愛があるかないかは突っ込まれてる側の当事者と客観的に見てる視聴者が判断する。
少なくともツッコミ側が自己弁護に使用していい言葉ではない。
それで言うと、ダチョウのメンバー(肥後と寺門)は上島に対して愛のあるつっこみが出来ていたと見えるが、後輩の竜兵会の連中のは不快なだけで愛は感じられなかった。
大御所のたけしや志村も上島に対してのつっこみはきつめではあったが、あの二人にならいくら厳しめにやられても上島自身の尊厳が傷つくという事にはならないだろう。
やはり年下の後輩から敬意もなくつっこまれるというのが一番堪えるのではないか。
敬意のある愛のあるイジリの例とすると、ロンブー淳の出川イジリは愛があったように見えた。
淳は出川に対して終始敬語だし、最終的に出川が美味しくなるように計算して、出川に許可をとった上で企画を遂行していた。
大事なのはそこに敬意がはらわれているかどうか、その一点に尽きる。
有吉は恩を仇で返すサイコパス
ここで本題の有吉である。
有吉は猿岩石失速以降、再ブレイクするまでの10年弱の期間、上島の世話になりっぱなしだったと恩義を表明していた。
しかしそれに甘えすぎたのだろう。
自身が売れすぎてしまったことで立場は何故か逆転し、有吉が上島を支配する立場関係になってしまっていた。
普通はどんなに成功しても貧乏時代の恩人に対しては生涯頭が上がらないというものだが、竜兵会の歪な無礼講の空気を都合よく流用し、いつしかなんの疑問も持たずにキャリアも年齢も上の上島に対して微塵も敬意を持つ事もなく、見下すようになっていた。
有吉のサンドリ正月回はアウト
何故か首都圏では聞くことのできないラジオ「有吉のSUNDAY NIGHT DREAMER」であるが、10年以上に渡り正月SP回は上島竜兵をゲストに迎えて必要以上に死期を追求し、狼狽える上島を面白がりながらいじり倒す有吉のナメ腐り方は明らかに一線を越えていた。(当事者はそれに気付かない)
令和になってからの近年3回分をひと通り聴いてみたが、控え目に言ってひどい罵倒で上島を苦しめていた。
収録のラジオとは言え仕事として有吉の番組に呼ばれている立場である以上、上島も全力でトークを展開しなければならず、必死にキレ芸で返すものの、笑いながらナタを振るう有吉の言葉にザクザクと傷つけられているのが聴いてて痛々しかった。
「いつ死ぬの?」「こっちが泣けるうちに死んでほしい」等、冗談にしては行き過ぎで、結果こうなってしまった以上これは完全にアウトだ。
有吉ベース「上島生前葬」
これなんかよくある学生のいじめ自殺事件そのもので、昭和のバラエティじゃないんだから、こんなのも完全にダメだろと番組を見るまでは思っていたが、意外にも番組としては成立していたように思う。
これは地上波ではなくネット番組だから企画が通ったものと言えるが、その内容も想像したものよりマイルドで、テーマも芸人上島竜兵はまだ健在かどうかであり、竜ちゃんの面白さが再確認できる内容にはなっていたので、個人的にはセーフと認定する。
ただ自死の半年前に番組で生前葬をしてしまったというのは非常に心象が悪すぎると言えるし、この頃を境に上島の鬱が加速したと言われている以上、どうしてもこれがきっかけではないのかと疑われても仕方ない部分もあるだろう。
因みに昨年10月はこれに加えて地上波の「アメトーク」でも上島還暦SPが放送されており、どちらも番組としては成立していたが、もしかしたら上島本人は不服だったのかもしれないし、このキャラで還暦過ぎても一生演り続けなければならないのか‥と思うとゲンナリしたのかもしれない。
有吉が送った還暦祝いの時計の意味
還暦祝いにマネージャー経由で時季外れに有吉が上島に送ったオメガの時計(50万円相当)。
ラジオでもこれをもっと公に言ってくれと上島に迫る有吉だったが、上島はこのお祝いの品が呪いの品である事に気付いていたのかもしれない。
というのもオメガというのはギリシャ文字の「最期」という意味であり、時計を送る行為は中国では人の死を看取る「送死(ソチョン)」と同じ発音である「送鐘(ソチョン)」と言い、時計をプレゼントする事は死を贈る事と捉えられており、タブーとされているからだ。
上島竜兵は中国の文化に詳しかったので、有吉の悪意ある意図を察したに違いない。
このプレゼントの後に今年正月のラジオでの「志村さんが竜ちゃん寂しいって呼んでるよ」である。
これはもう遠回しどころかストレートに「看取ってやるから早よ逝けよ」と言ってるようなものである。
破滅型共依存DVの典型的な愛憎劇
じゃあ何故上島は有吉の呪縛から逃れることが出来なかったのか。
それは上島が有吉の事が最初から最後まで好きだったからに他ならない。
正確には今年に入ってからその愛情も完全に消えてしまい、冷静に考えたら今までなんだったんだと絶望したのかもしれない。
いわゆる男女の共依存型DVの典型なのである。
つまりどんなに悪態つかれて見下されようとも、上島は有吉から距離をとろうとは思わなかったし、むしろそれでも一緒に居たかった。(飲みに誘われると絶対に断らない)
普通に考えたら理解できない感覚なのだが、共依存型のDVの関係と考えたら容易に腑に落ちるのだ。
そして有吉はその上島の重い愛情がいい加減しんどかったのかもしれない。
もしくはこれまでに一度も本気で叱ってくれない優しすぎる上島に怒られたくて煽っていたのかもしれない。
だから言ってしまう、「そろそろシネば?」と。
本当に死んでしまうとは有吉もさすがに思わなかっただろう。
だが、いつか上島がそうなるという予兆も有吉には感じられていたはずである。
こんなに悲しい結末もないが、これは上島と有吉の二人の間に交わされた愛憎劇の成れの果てであるというのが、最も腑に落ちる上島の自殺理由なのである。
↓ サイコパス有吉の手口が赤裸々に書かれているヤバすぎる本
これを読んだら全員有吉に引くでしょうね。
結論
有吉を法的に裁くことは出来ないのかもしれません。
有吉本人もきっと自戒の念をもって自分が投げつけてしまった言霊に対して後悔してるはずだと思いたい。(サイコパス確定だから残念ながらそれはなさそうだが)
だからせめて有吉からは感謝の言葉なんかじゃなくて上島さんに対して謝罪の言葉があるべきなんじゃないかと思うわけだが、現実はそうはなりませんでした。
これに対して憤る視聴者の一意見に対してアンチ叩きコメントだと封殺しようとするのは論点のすり替えであり、まともに思考することを放棄して権威に屈した陳腐な擁護論になるだろう。
そもそも有吉にアンチなんてそんなにいない。(熱烈なファンもいないのだから)
個人的には有吉には何度も笑わされたし、タレントとしての力量もあるだろう。
でもダチョウ倶楽部の上島竜兵が自殺してしまったという事実から、有吉のこれまでの言動を関係ないものとして取り下げるというのは違う気がする。
事務所は稼ぎ頭の有吉を守りたいというのもわかる。
でも、功労者の上島竜兵の内なる声を拾ってあげることも大事じゃないか?
竜ちゃんは多芸でギャグも豊富で面白かったよ。
無芸の土田なんかに上島さんを腐す資格なんか絶対にないよ、クソが。