しえすたブログ

ひきこもりで無職のシングルファザーが離婚や親権について語る

謝罪会見で逆ギレする芸能人が現れない理由と開くデメリット

アンジャッシュ渡部の謝罪会見が賛否両論です。

芸能人の謝罪会見は最高にアホらしくて笑えます。

謝罪会見は日本の伝統芸能文化です。

滑稽な謝罪国家日本のエンタメとしての在り方を、今一度整理してみたいと思います。

f:id:siesta-nightmare:20201208001049j:plain

謝罪会見を芸能人がする理由

復帰したいという下心が垣間見える

謝罪会見だから定型的に頭を下げてカメラの前で謝るのが当たり前ではあるが、必ずしも会見を開かなければならないというルールもないわけで、結局なんで会見を開くのかといえば、当人が騒ぎを収束させて一刻も早く平常運転に戻りたいという思いからやるのだろう。

だがその沈静化したら「復帰したい」という下心がどうしても垣間見えてしまった瞬間に、視聴者側は簡単に許したくないという感情が働くというものだ。

 

そもそも直接的にはまったく視聴者に迷惑はかけていないのだから、カメラの前で謝罪する必要も本来ないのだが、人気稼業であるタレントの場合、カメラの向こう側の視聴者に媚びなければ間接的にスポンサーがつかなくなるので、しおらしい姿を公にさらす必要性があるのだろう。

だからミュージシャンや作家などの著名人は何かあっても謝罪会見を開かない方が多いのは、良い仕事をしていればファンは離れないという自負があるからだ。

涙は厳禁

謝罪会見において涙は絶対に禁物である

同情を買おうとしてるんじゃないかと嫌悪する視聴者の方が多いからだ。

だがアホな女性は大方涙を搾り出す方に走ってしまい、失敗するケースが後を絶たず学ばない。

そもそも許しを請う時には泣くべきではなく、硬い表情を崩さないことに神経を集中させるべきであり、感情の吐露を許される場ではないということを理解しておくべきなのだ。

頭を下げると更に叩くのが人のサガ

人間の習性として絶対に逆らわない弱い者を更に叩くという卑しい側面があるため、頭を下げて降伏している敗者を見ると、余計に攻撃を重ねたくなるのもまたサガなのだ。

だから攻撃を受けたくなければ退いて頭を下げるよりも、前に出て顔を突き出して睨みを効かせた方がよっぽどそれ以上の攻撃は受けなくなるというものだ。

だから簡単に頭を下げてはならないし、もっと言えば頭を下げなければならないような事態を招いてしまってはならないのだ。

どうしても謝罪しなければ収束しないという場合は、昔ながらの武士の如く切腹するつもりで、それはつまり今後の将来を全て謝罪先に捧げる気概をもって謝るべきであり、そんな気迫と重厚な心意気が感じ取れた時、人に誠意が伝わるのであり、許されるのである。

芸能人謝罪会見成功例

狩野英孝

17年1月、未成年少女(17歳)との交際疑惑が報じられるとすぐさま会見を開く。

会見ではひたすら真面目に誠実な答え方で一貫し、普段隙だらけの芸風であるのに対し、会見では計算のない天然な受け応えが逆に真摯な印象を醸し出し、なんとなく許されたのはこれまでのキャラクターが憎めない故か。

 

その一年前にも狩野は川本真琴と加藤紗里との泥沼三角関係で話題になったが、これも加藤が地雷という印象から狩野はさほど炎上せず。

やはりそれまでに視聴者から嫌われていなかった(アンチが少ない)というのが大きい。

前園真聖

13年10月、タクシー運転手を泥酔しながら暴行したとして逮捕され、釈放後会見を開く。

会見では現実を真摯に受け止めた前園が、ある意味スッキリとした表情で謝罪の弁を述べ、仕事も全て白紙になって失ったけど、今後は改めて被害者に謝罪を尽くすといった姿勢を表明した。

 

それまでの前園はカッコつけキャラであり、いじられ要素は1ミリもなかったのだが、この件以後「ワイドナショー」で松本に毎週のようにいじられ続けることで、完全にキャラ変し、あの前園がいじられキャラになったということで禊を済ます。

結果的にこの事件を契機に前園のタレントとしての仕事量は激増し、スキャンダルを踏み台にして好転させた元HKT指原に次ぐ稀有な成功例といえる。

草彅剛

09年4月、夜の公園で全裸で奇声をあげたとして公然わいせつで逮捕され、処分保留で釈放されてすぐ会見を開く。

会見での草彅の表情は覚悟を決めたような面持ちで、これでタレント生命が終了しても仕方がないという腹づもりすら感じられる程に良い意味で吹っ切れていたのが好印象に繋がった。

ここでも受け応え方に天然の人の好さが自然とにじみ出た形となり、むしろ悪酔いするほど仕事でストレス抱えてるんだろうなと同情的に見られた。

 

当時はまだジャニーズの事務所パワー健在且つ国民的アイドルグループSMAPということもあり、注目を集める中で被害者が誰もいない事件なのに警察にがさ入れまでされた事で、世間からはより同情の声は多く、むしろ草彅からの電話を無視し続けた木村ってどうなの?というグループとしての不和が露呈し始めた。

ビートたけし

86年12月、講談社フライデー編集部襲撃事件で、住居侵入・器物損壊・暴行罪により現行犯逮捕。

会見では謝罪というよりもケジメをつけるかのようにして、記者の質問にひとつひとつ自分の言葉で鋭い眼光で堂々と応える当時40歳で絶頂期のたけし。

譲らない部分は一貫しており、半年間謹慎するも当時から世間の声は圧倒的にたけし擁護であり、結果カリスマ性をさらに強める形となった

ビートたけしの凄味と他と一線を画すだけの強味が会見の中に如何なく発揮されており、誰にもマネできないし誰にも文句を言わせないだけのなんだかわからない神懸かったパワーが感じられ、ビートたけしが何故芸能界のトップであるかの所以を、当時の段階で誰もが認めざるを得ない空気をすでに作り上げてしまっているのだから恐ろしい。

 

www.siesta-nightmare.com

結論・謝罪会見はしない方が賢明

確率からしておよそ9割以上の謝罪会見はマイナスに終わる

今にして思えばそこまで叩くこともなかったんじゃないの?と思わせるベッキーだが、何故ベッキーがあそこまで叩かれたのかといえば、それまで優等生的なタレントであったのが裏切られた印象を持つからなのと、潜在的に視聴者からさほど好かれてもいなかったというのが全てだろう。

宮迫が復帰できないのは所属事務所に後ろ足で砂をかけたからであるのはもちろんだが、なによりも視聴者から潜在的にものすごく嫌われていたことがよりハッキリしたからだ。

 

www.siesta-nightmare.com

結局何をやったか、会見でどう答えたかというのはさほど問題ではなく、それよりもこれまでに一般視聴者層から本当に好感度があったのか、なかったのかが試され浮き彫りになることで、その後の運命が決まるような気がしてならない。

 

そしてやらかす芸能人のほとんどは事務所の後ろ盾を外した状態で会見という名の見せ物裁判にかけられた場合、叩かれるのが常であり、一般視聴者の感想としては「別にどうでもいいけど前からそんなに好きじゃなかったしこのまま消えてもらってもまったく問題ない」というものだろう。

 

だからこそ同業の輩である芸能人側は大概芸能人を擁護するのだが、それがかえって飛び火して迂闊に擁護すると炎上してしまうというのもまたSNS時代の特性といえる。

 

www.siesta-nightmare.com

謝罪会見で逆ギレしたら面白いのに

おそらくテレビでの活躍の場を失っても構わないという舞台芸人であれば可能なのですが、スポンサーと事務所に囲われた売れっ子芸能人であると、まず保身を考えてしまうものだし、その先の復帰を見据えて謝罪の姿勢を見せるという魂胆があるので、どんなに記者の質問にムカついてもその場でキレるような破天荒な人は最初から売れっ子芸能人にはなれるはずがないから、そんな人は存在しないのである。

一方アングラな芸人がスキャンダルを起こしてもリポーターは集まらないので会見自体が成立しないというのもある。

 

しかし謝罪会見の場というのは一世一代のダークヒーローインタビューみたいなものだから、できるだけウィットに富んだ言葉を残すべきだし、面白い!と思わせたら勝ちな部分もあるので、一辺倒の謝罪でつまらなく終わるよりも、賭けに出た方が絶対にマシなのは確かであるのだが、それができる人間はごく少数の気狂いに限られる。

 

渡部がもしリポーターの婆に対して「お前もトイレに連れ込んでやろーか!」とすごんでみせたら、案外アウトローキャラに生まれ変わってブレイクできた可能性もあったんじゃないかと思ったりして。

どっちにしても芸能生命が絶たれるのならば、爪痕は残してこそ芸人でしょ。

保身に走って謝り続けるだけの汚れてケチのついた芸人を、また見たいと思う視聴者はいないということです。

 

www.siesta-nightmare.com