どうしようもなく困った時、人は手近な誰かに助けを求めてしまう。
自分で考える事に疲れて他人に重要な決断を委ねてしまう。自分の問題なのに。
友人知人には悩み事を相談してはいけない
相談する心理
世間では困ったことがあれば誰かに相談しようという良識がまかり通っており、他人に悩みを打ち明ける事は至極正しい行為と認定されている。
相談できる人が多い程その人の交友関係は豊かであると。
相談される側もまた頼られる事に悦びを覚え、無条件に嬉しくなるものだ。
道端で知らない人に道を聞かれると親切丁寧に答えたくなる心境と同じだ。
一人で煮詰まるよりも客観的な打開策を得られるメリットはもちろんある。
相談することでより友人としての絆を更に深める事もできる。
悩みを打ち明ける事でなにより自身の心が軽くなるという効能もある。
だがあえて私は逆張りのつもりはないがハッキリとこう言いたい。
「友人知人には悩み事を相談してはいけない」と。
相談してはいけない理由
きっとこれに対して大半の方が「親友の居ない寂しい奴だなぁ」と私を哀れむことでしょう。人を信じられない貧しい心の持ち主だと憐憫の情を持つでしょうか。
でもそれは的外れな見解です。そういうことではないのです。
悩むほど大事な問題こそ誰の意見も参考にすることなく自分で熟考して決するべきなのです。
人の言葉に惑わされたり影響された挙句に間違った結果を招いては眼もあてられません。
それに所詮は他人です。
責任を伴わない一意見などなんの重みもあるはずもなく、その場で耳心地の良いもっともらしい言葉を繕うにすぎません。
それだったら匿名掲示板で相談した方が百倍建設的です。
相談を受ける側の心理
それに逆の立場だったらと考えたら私は性格が悪いのでしょうか、心の中で目の前の悩んでる友人をカワイイ奴だなぁとほくそ笑みながらも精一杯親身な言葉を選びつつ自分の解答に酔いしれた先で酒の肴にするでしょう。
それにツイててハッピーで浮かれてるような友人よりもちょっとばかし苦悩してる友人の方が愛おしく感じるものです。
人の不幸は蜜の味とまでは言いませんが、相談に乗り優しくすることで自分の株も上がりますし、より強固でWINWINな関係が築けるというものです。友人のそのどうでもいい悩み事に感謝です!
決断は自分で
私は昔大失恋した時に心が苦しすぎて柄にもなくたいして親しくもない同僚の女に女性目線の意見が聞きたくて軽いノリを装いながら重い相談を持ち掛けてその回答にすがってしまった事がありました。
結果その同僚の一般論的な何の根拠もない助言を鵜呑みにして惨敗した経緯があります。
どちらにしても結果に差異はなかったとはいえ、押すべき時に引き、引くべき時に押してしまったのは他人の意見を取り入れてしまったからなのです!
大事なところで自分の心のままに動けず、つまらない一般論に支配されてしまった事に心の底から後悔したものです。
だから私は元嫁に子供を連れ去られた時も職場の人間には一切相談しませんでした。
園長さんや民生委員の人や弁護士には相談しましたが何を得られたわけもなく、今思い返してもどんなに切迫した悩みを相談したところで他人が解決してくれるわけもなく、話すだけ無駄であると痛感しました。
吐露する事でスッキリしたいというのならそれもアリですが、それならどうせ無力な専門家よりも夜のお店でくだをまいた方が幾分マシでしょう。
相談<自問
私は他人の人生相談ネタが大好きです。
悩んでる人というのは概ね美しいし、生々しくも滑稽でとても人間らしいからです。
一方逆に偉そうに人生訓話を垂れ流し、したり顔でアドバイスを語るご意見番的な立場の人が大嫌いです。処世術にまみれて醜いからです。
教会に仕える尼さんのように浄化する説法で心ごと洗い清めてくれる素晴らしき友人やリスペクトできる恩師や先輩を持っている人もいるでしょう。
でもそんな頼れる人ですら個人的な悩みを抱えたか弱き人間なんです。
でもその人達は安易に弱さを見せることはしません。
他者に委ねるのは無意味であると知っており、また自分の解答に自信があるからです。
ラクになりたきゃ話せばいいよ。他人の悩みは飯の種。笑えないのは勘弁な。