親権に離婚したい父親たちに告ぐ

正しい離婚の仕方を教えます

離婚は忍耐力の欠如

フランスの劇作家アルマン・サラクルーの有名な格言であるが、まさしくその通りであると思う。判断力の欠如で結婚し、記憶力の欠如で再婚する…うまいこと言うなぁ、ホントに。

Free

特に本国日本においては耐え忍ぶ事を美徳と捉える心象が根付いているように思われるが、果たして本当にそれは正しいのか?時代が成熟するにつれておかしな規律は廃止され、メッキが剥がれて行くのは自然の摂理だろう。

例えば「野球少年は丸刈り坊主頭でなくてはならない」なんて意味不明な伝統が21世紀になっても受け継がれてるんだからちょっとヤバくないですか?

本当に最近になって野球人口の減少に歯止めをかける為に中学高校でこの縛りを失くそうという動きが始まってきてはいるものの、テレビで高校野球を視聴する限りまだまだ伝統は圧倒的に健在らしく、長髪の球児なんて見たことがないのだから、そう簡単には例え間違った風習であったとしても、古くからの体質は変えられないのだろう。

例えば子供がいじめにあっていて「黙って耐えなさい」って言いますか?子供耐えきれなくて死んじゃいますよ?まずは逃げ場を作ってあげるのが親の務めでしょう?

 

 何の話だっけ?そうつまりは「忍耐」は美徳とする価値観に物申す!なのである。

 

ハッキリ断言致しますが、世の中全ての事象において耐えるという行為で促すやり方は間違いであり、えてして不本意な結果を招き入れます。

なので絶対に耐え忍んではいけません!歯を食いしばってはいけません!

師匠のパワハラを修行と勘違いして奴隷に成り下がるペーペーさんは大事な人としての尊厳を守ってください!大物の下で虎の威を借りようなんて思った時点でそいつの人生はコバンザメに決定してしまいます。死ぬまで情けないままです。そんなの恥ずかしすぎます。恥ずかしくて引きこもってしまう方がまだ救いがあります。堂々としたら終わりです。下っ端ヤクザのチンピラをイメージして下さい。軽蔑の対象です。

 

何の話でしだっけ?そうつまり「耐える」という行為は自殺に等しい悪手であるという事です。

誰もが最初結婚生活は楽しいと想像したから結婚したわけですよね?

それがイメージに反して楽しくなかったとしたら…継続する意味がないですよ。

楽しいと思って入った料理教室が楽しくなかったら…楽しいと思って入ったサークル活動が楽しくなかったら…辞めてしまいますよね?それと同じです。

そりゃ楽しい事ばかりじゃないのが人生ですし、ツライ事だってある程度までは想定内と割り切る姿勢も必要ですよ?でも耐えるというレベルまでいくのであればそれはもう人生の岐路(分岐点)に立たされてると言えるわけで、耐えるコースと耐えないコースに分かれているなら耐えないコースの方へ進む方が自由を切り拓くという意味においてクリエイティブだし、耐えるコースを選んだ先に待っているのは更にもっと耐えなければならないケモノ道である事に違いなく、報われることなく道の途中で動けなくなって屍になって詰む確率が圧倒的に高い事でしょう。

 

忍耐からの逆転なんておとぎ話の中だけです

 

子供がいるからとか言い訳しないでください!先行きの見えない未来が少し怖いだけです。耐えて現状維持の方が予定調和なので安心できるという部分で一歩踏み込めないのでしょう。それもよくわかります。冒険はリスクです。

ですが予定調和のままずるずるとこの先何十年も真綿で首を絞められながら生かさず殺さずの立ち位置で我慢していていいのでしょうか?

 

私は全日本離婚党の党首ではございませんので既婚者の方々に離婚しろと煽ってるのではありません。経済発展の為には離婚は防いでいくべきだし、無敵の中年が増えても社会的にはマイナスしかないので世間が離婚はよろしくないと言うのも理解ができます。

だからこそ顔の見えない世間とやらの術中にハマって自我を抑圧していいものなのかとドメインパワー「1」のブログで警鐘を鳴らしてるにすぎません。

誰だって自分以外の他人には何かしら我慢をして生きてもらいたいのです。誰もが自由に生きる社会なんてヤバすぎるのでそんなの望めません。が、気付いたら自分が我慢しているという構図から目を逸らしてるだけのように思えます。

なのでまずは身近なところで配偶者に文句のひとつも理論的に言ってやってもいいじゃないですか。「お前パンツのゴムゆるゆるだぞ」と。
なので私は耐えられなかった結婚生活ですが、皆様も我慢の限界まで我慢せずに、自分の心に正直に生きることを願ってやみません。いや、特に願ってもないですけど。

最期に冒頭の格言について。

自分で言うのもなんですが私は記憶力に長けているので再婚は絶対にいたしません!…多分。