親が離婚してる家庭で育った人は、大人になって自身が結婚すると離婚する確率が高いと言われている。
実際その通りだと思う。
うちの親も私が19の時に離婚している。
物心ついた子供の頃から両親が毎日のように喧嘩している家庭で私は育った。
離婚遺伝子
追憶の家庭
父親が大声で怒鳴り、母親が夜泣いて家を飛び出して行こうとしたり、それを必死に引き止める姉の泣き声を聴きながら、うるさいなぁと布団に潜ってため息をつく小学生の私は声を荒げる感情的な人間にだけはなるまいと密かに胸に誓った。
ある日子供を二人連れて飛び出した母親が夜道を歩きながら冷静さを取り戻しつつ子供に対してハッキリとこう呟いた事をよく覚えている。
「あと十何年後に絶対離婚する。息子(私)が成人する時がきたら必ず…」
それを聞いた時、今すぐではないという事にとりあえず安心したものだった。
その後も両親は本当にくだらない言葉のやり取りからの幼稚な喧嘩を延々と繰り返し、父親の浮気発覚が決定打となり、本当に私が成人するひと月前に母親は離婚を宣言して家を出た。
父親にとっては突然であったが、姉と私にはその半年前から母親から真剣に離婚して出て行っていいかという相談を何度も受けていたので、その都度「もう好きにしていいよ」と言っていたので、来るべき時が来たのかという感じだった。
これがもし義務教育の年頃だったとすると動揺もしたと思うし、周囲や世間の目を恥ずかしく感じたと思うので、その意味において長い間我慢して私の成人する年まで指折り数えてその時期が来るまで行動を踏み止まった母親には「よく耐えたで賞」を授与してあげたい。
今にして思えば親権問題や経済的な都合で離婚を推し進める事が当時の母には出来なかったのだろう。
両親の離婚、分離する家族形態
母が出家してひと月後に私は成人し、数ヶ月後に両親は調停で話を進めて離婚に至った。
父に離婚の意志はなかったが、すでに別居状態であった事と、慰謝料なしという条件で判を押す形となった。
その後姉は母親と同居する形で家を離れ、私は父親と二人でそのまま暮らす事となった。
それを機に母親とは疎遠になってゆく代わり父親とは絆がより深い関係になった。
元から父子関係は良好でなんでも話し合える仲であったので、これも随分と一般的にはレアな父子関係なんだろうなと思う。
両親はよく喧嘩していたけど、仲の良い瞬間というのも度々垣間見る事もあり、恋愛結婚による弊害がこの末路なんだという印象を私はもった。
しかし私はそんな父親らしくない父と母親らしくない母の事を家族として好きだったし、親がアレだったからか姉との姉弟仲も良かったので、家族間ストレスを感じる事はあまりなかった。
一見崩壊してるんだけど、表面だけでは家族っていう芯の部分はわからないものなんですね。
子供の離婚観による弊害
姉は一度も結婚しないまま現在も母親と二人で暮らしている。やはり結婚に対してマイナスイメージしか持てないんだと思う。
そして私も離婚したわけだが、やはり離婚は遺伝なのか、環境なのか。
そのどちらもであろうが、もしも私の両親が離婚していなければ、私は離婚しなかったかもしくはできなかったかもしれないが、それ以上に結婚をもっと慎重に考えたかもしれない。
婚姻届を出すときも心のどこかで嫌になったら離婚すればいいだけだしという軽い考えが頭の片隅になかったとは言い切れないのだから、罪深い育ちであると言える。
そして父となり息子との関係を築く上において、私の父と過ごした関係性も起因してる事と思う。
だから私は夫婦で維持する家庭を築き上げる事はやはり出来なかったけど、珍しいくらい良好な父子関係を築き上げる自信は最初からあった。
起因する影響、直結しない宿命
結局生育環境の中で見た家族モデルに自覚なきまま随分と影響されてしまうものだし、まるで組み込まれた遺伝子の仕業のごとく親と同じような生き方をなぞってしまうものなのかなと悔しさと怨めしさと歯がゆさで決められた運命を呪いたくもなるのだが、私は大人になった息子に対して離婚はするなと言えるだろうか。
結婚はやめておけと言ってしまってよいのだろうか。
離婚遺伝子を受け継いだとしても、それは不幸とは直結しないとだけは伝えたい。
そして息子に注ぐ父親の眼差しがどんなものであるか理解できたところだよと、私の父にもいつかそのうち伝えたい。
そう考えたら命を繋ぐ尊さを学ぶ事が出来たのも出産してくれた元嫁のおかげかなってところまで辿り着くんだけれど、それはまだもう少し伝えないでおこう。